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私が失ってしまったのは何か

今朝、通勤中の電車内の話。

最近はどんな時間の電車に乗ってもゴミゴミしていて、超満員の電車は無くなったけど、空いている時間もなくなった。

世間の流れが変わった4月以前から、私は大体9:00前後の電車に乗っていた。

以前は人に触れ合うか触れ合わないかくらいの密度でそれなりに快適だった。4月以降はもちろん、出勤する人がいなくなりガラガラ状態だったけれど、9月以降は必ず誰かの腕と私の腕が触れてしまうくらい、以前より混むようになってきた。

今日もそのくらいの電車だった。

エスカレーターを上がってすぐの車両に乗れば職場の最寄駅でも階段の前に到着するので、車両は同じものに乗るけれど、なんとなく毎朝の気分でくぐるドアは日替わりにしている。

今日は、最寄駅のホーム階段の目の前に止まるドアから電車に乗った。

・・・

私の左腕に触れたのは、高校生くらいの女の子の右腕だった。

私と同じ白いヘッドフォンをして、どう見ても高校生くらいなのだが、私服の学校なのか制服は着ていなかった。

グレーのパーカーとリュックで、おしゃれでは無いけど、着心地が良さそうなものを身にまとっている彼女は手に紙を持っていた。

ちらっと覗くと、電車に揺られながら彼女が持っていたのは、手書きの歌の歌詞だった。横半分に折り目がついているB5サイズのルーズリーフ。

上部の空白には「夜を駆ける」と。
ところどころ擦れた黒のボールペンで書かれた歌詞を見る限り、「夜に駆ける」だろうと思った。

きっと彼女のヘッドホンからは、この曲が流れているのだろう。
時々口をパクパクさせながら読み込んでいる彼女は、この曲を練習しているのかもしれない。

お世辞にもあまり上手ではない文字で書かれた歌詞を見て、とても懐かしい気持ちになった。

とにかく文字を書くのが大好きだった私も、中高生の頃はお気に入りの歌をノートに書き写していた。TSUTAYAで借りてきた流行の曲をカセットテープやらMDやらに録音し、自分の部屋で曲を流しながら手書きの歌詞を見ていたあの頃、めんどくさい作業でも大好きだったな…。

・・・

今は歌詞カードを書く必要がない。
スマホで調べればすぐに出てくるからだ。

でも彼女は、題名を間違えながらもルーズリーフに歌詞を書き、通学の途中半分に折りたたんで持ち歩きつつ、曲を聴き、自分の字で書かれたその歌詞を見ながら電車に揺られていた。

なんか、いいな。

私が失ったいろんなものを彼女が持っているような気がした。

それが何かは分かりませんが。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。