見出し画像

寝相と物言わぬ臓器

「小さな自慢」のお題で話をしていた時のこと。特に思い当たるものはないな…と思ったが、ふと思い出したのは、寝相がいいということだった。

これには証人もいる。修学旅行の時に、定番の「女子トーク」になった。みんなで徹夜でしようと意気込んでいたのだが、幼いころから寝るのが早かった私は、一番に眠りについてしまった。同じ布団で腹ばいになって話をしていた友人も寝てしまい、2人で1枚の布団で一晩を過ごした。

次の日、目が覚めて徹夜女子トーク組に言われたのは、私たちはほぼ動かず、一度も触れることなく朝を迎えたということだった。

もちろん、幼い頃の寝相はとんでもなかった。上下が逆転しているなんて言うのは日常茶飯事で、酷いときは二段ベッドの上で寝ている兄の布団で寝ていることもあった。

・・・

寝相に関しては、今思い出しても赤面必至のエピソードがある。

私が小学生の頃にの住んでいた区は、喘息の子供だけが行く支援施設を千葉県館山市に所有していて、夏休みを利用して実施される林間学校が開催されていた。親から離れ、区内の小学校から集められた喘息の児童が、5日ほどの期間を区営施設で生活をするのだ。

小学校3年生の時に、私はその林間学校へ参加をした。参加者の中で私が知っていたのは、クラスが一緒で仲の良かった男子1名と、同じクラスにはなったことはないが顔は見たことある程度の男子1名。あとは他校や違う学年の子供、総勢40名くらいだったと思う。

朝起きて乾布摩擦と、夜空の星を観察したことは覚えているが、それもうっすらとした記憶で、実際何をして5日間を過ごしたのかは思い出せない。自称人見知りの私は、仲の良かった男子にべったりくっつき、ややホームシックになりながらも、なんとか時を過ごしたという感だけは覚えている。

何とか迎えた最終日の早朝4時頃、枕の感触の違和感でふと目が覚めると、眠っている場所に覚えがない。

布団はトランプの七並べのように大広間に並べられていた。上からハート・クローバー・ダイヤ・スペードの順、左から1~10だとすると、私はいつもスペードの3当たりで寝ていたのだが、目が覚めたのはクローバーの4あたり。そこは、同じ学校の唯一顔は見たことがある男子の場所だった。

初めは寝ぼけていたのだが、急に我に返り飛び起きた。私はその男子のお尻を枕にして寝ていたのだ。とんでもないことをしてしまった。そう思い、急いで自分の布団に戻り、タオルケットをかぶった。

本人にバレてはいないだろうか。誰かに見られていなかっただろうか。不安で不安で、恥ずかしくて恥ずかしくて。それから起床時間まで一睡もすることができなかった。

そして朝、食堂へ向かう途中に、お尻枕男子に初めて声をかけられた。「なぁなぁ、おまえさ…」と肩を叩かれたが、その言葉の続きを聞くことをなんとしても避けたくて、必死に仲良し男子に呼ばれたフリをして逃げた。

バスに乗り込むときにも、お尻枕の男子はもう一度私のところへ来て何かを言いかけたが、ついに核心を突かれることなく、逃げ続けて林間学校を終えた。

結局、お尻枕男子が何を言おうとしていたのか、私がお尻を枕にしていたことがバレていたのかは分からず、ついには4年の夏休みまで一言も話をすることなく、私は引っ越しのため転校をした。

それくらい寝相が悪いことを知っているので、大人になった今、こんなにも寝相が良くなったという成長こそが自慢である。

・・・

寝相といえばもう一つ。

人には、人それぞれのバロメーターがあるものだ。そして、それは「万人にでも当てはまるもの」ではない。

たとえば、私は右向きに横になり眠りに入る。何故か疲れがたまっている時には朝起きるとうつ伏せ寝の状態になっている。

体調のバロメーターは、自分の調子を窺い知ることができる。

しかし逆手にとれば、そのように目に見える形でなければ自分の調子や体調をキャッチすることができないということ。

自分のことでも、分からないことは多い。
病気なんていうのはその最たるものである。

小説『君の膵臓を食べたい』で少し認知度が上がった「物言わぬ臓器」は膵臓だけではないことを、自分が病気になって初めて知った。

悲鳴を上げないので自覚することができず、進行し重篤化するまで症状が出ない「物言わぬ臓器」の病に、早く気づけただけでも喜ばなければならないのだ。

物は言はずとも、寝相で構わんので教えてはくれないものだろうか。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。