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ほんの一瞬が思い出を開く鍵

今年から、絵日記をつけている。

きっかけは夫のつぶやきだった。「絵日記とか好きそうだけどしていないよね」という言葉。した方がいいとか、やればいいのにという言葉ではなく「そういえば…」と何気ないつぶやきが、私の心に火をつけた。

まんまと…というと夫に意図があるかのようになってしまうが、結局ほぼ毎日描くようになり、すっかりハマってしまっている。

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私はただの会社員だが、業務の一つで子供向けの教室を開講し、地域の子供が週に一度集め「先生」として教室の運営をしている。教室の主活動を始める前に必ず行っているのは、出席の際にお題を決め、発表をすることだ。

お題は今朝食べたもの、公園にある好きな遊具、将来の夢など様々だ。

もちろん私も「先生が大きくなったらなりたいものはね…」と語っている。「これ以上大きくならんだろ!」と突っ込みを入れる子はいない程度の年齢の子供たちなので、週に一度無邪気になれる瞬間を楽しませてもらっている。

先日のお題は「毎日やっていること」だった。お母さんのお手伝いや縄跳びの練習を挙げる子供たちに続き、私は絵日記をつけていることを伝えた。

すると一人の子が嬉しそうに聞いてきた。
「じゃあ毎週木曜日は私たちのことを描いてくれているの?」

大変胸が痛くなった。5ヶ月続けて教室のことを絵にしたことは一度もなかったからだ。ただ、良い指摘である。きっと「先生はもう大きいでしょ」と言ってくる最初の子だろうと思った。

その場は「今日は誰を描こうかな~」と適当に誤魔化した。
そして、胸は痛むが今後も彼女たちが絵日記に登場することは少ないだろう。

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ただの日記ではない。絵日記だ。
1日の何を切り取るかということを考えると、ルーティンワークのようなものを私は省く傾向にある。

日記も絵日記も難関なのは、何をどこまで記すのかという基準である。

結論としては好きにすればいい。1日の出来事を事細かく記す人もいるだろうし、なんとなく搔い摘んで記す人もあると思う。

私も最初のころは「日記なのだから1日の象徴となる出来事を」「この1日をかたどり、輪郭になるようなイラストを」と考えたこともあったが、それは必須ではないであると今は感じている。それよりもププッと笑えた出来事や、本当に些細な一瞬、単純にイラストにしやすい場面などを選ぶ。

その日の出来事や思い出を詰め込んだ部屋を描く必要はなく、その部屋に入る鍵の役割を担うようなものになっていった。

たった5ヶ月でも振り返ってノートをめくってみると非常に楽しい。
そういえばこの時こんなこともあったな、これはあそこに行く道中だったなと、鉛筆のみで描かれた大して上手くない他愛もないイラストと、補足するように添えられた文章が思い出させてくれるのである。

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すべてを語らなくてもいい。
全てを語らないことの方が十全に語っているということもあるだろう。これはあらゆる創作活動にも当てはまる。

いかに一瞬を切り取るか。

絵日記をたった5ヶ月つけただけの私が語るには荷が重いようにも感じられるが、心を強く持ち「これが日記の楽しみ方」と宣言する。

いつか夏休みに課される絵日記の宿題に困る子供がいたら、こっそり教えてあげたい。

今は絵日記も宿題で出されないらしいけど、
まぁいつか。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。