持つべきものは解消法ではない
ストレス解消法を聞かれた。
周囲の人間から見た私は、ストレスとうまく付き合い、不満を爆発させたりストレスに押しつぶされることのないように見えているらしい。
正直、私にはストレス解消法がない。
人並みに多少の悩みは不満はあれど、「これが私のストレス」と名付けるようなものもないのが現状なのだ。
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以前病院の先生に、「あなたは痛みにすごく強いか、すごく鈍感かどちらかなのよ」と言われた。
強いか鈍感かはさておき、どうやら痛みを痛みと感じないらしく、きっとストレスもストレスと感じることがないのではないかと思う。
とにかく「ストレス解消法」なるものも私には不要であるため、そんなものは持ち合わせていない。
だから「ストレス解消法はない」と答えたところ、あからさまな空返事で不満足そうな顔をされた。
これは質問を返して欲しいのか?と思い、逆にあなたはどんなストレス解消法を持ってるのかと問い返したところ、「私もない」との返答。
どうやら、彼女にはストレスと思われる要素がたくさんあり、どうにか解消をしたいけれど、その術が分からず、私のストレス解消法を参考にしようと考えていたらしい。
期待に応えられず申し訳ないが、ないものはないので仕方がない。
そもそも万人に効く処方箋はないのだから、その答えを他人に求めるのはどうかと思った。けれど、そんな冷たい考えになってしまったのはきっと、質問してきた人があまり得意じゃなかったから。
親身になってあげることもできたが、あまり好きではない人のストレス解消法を一緒に考えるなんて、それではこちらにストレスがたまってしまう。
危ない危ない。
ミイラ取りがミイラになるところだった。
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自分なりのストレス解消法を持っている人は一定数居ると思う。
よく聞くのは掃除をするとか、カラオケに行くとか、旅行をするとか、飲みに行くとか。
それらを否定する気もないけど…個人的には納得できないことが2つある。
1つは、掃除やカラオケ・旅行・お酒で解消できるようなストレスは、大したストレスじゃないということ。もう1つは、根本的な解決になっていないことだ。
ストレス解消法を持つというのは、ストレスが生まれることが前提である。
そしてストレス解消なんていうのは、お茶をこぼした床を座布団で隠すようなもので、お茶をこぼさないようにするためにどうすれば良いかを考えることから逃げる行為ではないかと。
ストレス解消法なんて持っていなくても、別にいいのではないだろうか。
そんなものを持つよりも、ストレスを生まないための言動や、解決するための思考を身につける方が先なのではないかな、と。
今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。