「KTS ー黒歴史特殊清掃員ー」第2話
これが夢であることは、はっきりとわかる。
僕は今、幼少の頃の自分を俯瞰で見ている。
あれは、父さんが家を出ていってから1か月後のことだった。
母さんの家に突然小汚いおっさんがきて、おっさんのミニ銅像を置いてった。
母さんはそれから毎日毎日おっさんのミニ銅像に祈りを捧げて、僕をほったらかしにした。僕は毎日毎日、泣いた。
それは、僕から見れば母さんの黒歴史。
そして僕自身の、暗黒の歴史。
もしもその歴史を変えることができるなら、僕は――
***
「おーい、生きてるか?」
ぼんやりと声が聞こえて目を開けると、碧眼と目が合った。社長だ。
驚いて反対側へ寝返りを打つと、社長も移動して無理やり目を合わせてきた。
陶器のような白肌に、あざやかな碧眼。鼻梁も高く、西洋人のようだ。
「よかった。丸1日寝ていたから心配したよ」
丸1日ということは、今日は入学金の振込期限だ。
半ば諦めの気持ちを抱きながらも、状況を把握するために居場所を尋ねた。
「ここは……」
「オフィスだよ。株式会社BLACK Historyのね」
ゆっくりと起き上がると、テニスコートほどの大きさの真っ白な空間に白い机や棚が置いてある。オフィスというには整いすぎている気もする。
「僕は代表のエスキルだ。よろしく」
少しずつ記憶が蘇り、御手洗さんと赤名寧々を探すために周囲を見渡した。
「2人のことが気になる?」
「は、はい……」
「ミッションは成功だ」
「ということは――」
「赤名寧々は自殺しなかった」
聞いた途端、安堵のため息が漏れた。
「君の仕事ぶりは月夜くんから聞いたよ。まだ面接すらしてないのに大活躍だったね。随分無茶したみたいだけど」
「無茶、でしたか……」
「うん。それと、KTSのことなんだけど」
「KTS?」
「ああ、黒歴史特殊清掃員のバイトのことね。君、残念ながら不合格」
「えっ!?」
思わず素っ頓狂な声が漏れる。報酬がもらえなければ入学金は払えない。僕は必死になった。
「どうしてですか? ミッションは成功したし、大活躍って……」
「君はひとつ、大事な条件を達成できなかった」
「条件……」
「鼻血だ」
その言葉を聞いて、脳裏に『鼻血が出ない方』という募集要項の条件が浮かんだ。僕は感情が昂ると鼻血が出てしまうけど、こればかりはどうしようもない。
「すみません……でも、どうして鼻血はダメなんですか?」
「危険だからだ」
「危険?」
「白黒世界では黒歴史の持ち主以外は白黒だ。だから、清掃員にも白黒の格好をして紛れてもらっている。それはわかるかね?」
「は、はい」
「逆に言えば、色がついた状態を黒歴史の持ち主に見られたら、その時点で清掃員も黒歴史の当事者になってしまうんだよ」
「ど、どういうことですか?」
エスキル社長は僕にぐっと顔を近づけた。同性でもドキッとする。
「黒歴史の持ち主と同じ運命をたどる」
その言葉を聞いた瞬間、御手洗さんの言葉が想起された。
――あなたが死ねば、どのみちヤブミーも死ぬの!
つまり、赤名寧々に鼻血を見られてしまった僕は、彼女の黒歴史を消すことができなかったり、彼女が崖から落ちたりしたら死んでいたということだ。
考えるだけでゾッとして、鼻の奥がツンとした。
「ヤブミ―にキスでもする気ですか、社長」
突然背後から温度のない声が飛んできた。
僕とエスキル社長が入り口に視線を向けると、御手洗さんが能面のような顔をしてこちらに向かってきている。
「BLならよそでやってください」
「月夜くんにならいいのかい?」
「セクハラの前に昨日の報酬をください」
御手洗さんがにべもなく言い放つと、エスキル社長が近くの机の抽斗から封筒を取り出し、御手洗さんに渡した。
報酬が手渡しなことといい、昨日の折り畳み式デッキブラシといい、ホログラムが浮き出るハイテクな腕時計とのギャップに驚かされる。色々とちぐはぐな会社だ。
それよりも――
「あの、僕への報酬は……」
「おっと、バイトが不合格でも報酬は渡さないとね。失敬」
エスキル社長はそう言うと、僕に封筒を差し出した。
受け取った封筒は、確かに厚みがある。
「50万円……」
嬉しさのあまり、ぽろりと声が漏れた。
これで入学金が払える。それならバイトが不合格でも問題はない。そもそも命の危険があるならやりたくない。
「ありがとうございました! さようなら!」
僕は颯爽と立ち上がり、御手洗さんの横をすり抜けてオフィスを飛び出した。はちみつのような甘い香りに気を引かれたけど、今は女子よりも大学だ。大学に行ったら、女子もいる。
僕は昨日の真っ白なエントランスを抜けて怪しい地下の階段を跳ねるように駆け上がった。
地上には光が見える。
これで大学生になれる!
うきうきした気持ちで地上に出ると、ちょうど目の前に銀行の支店があった。僕はそこへ飛び込み、窓口に『入学金振込申請書』と封筒を差し出した。
「お客様、順番を――」
「今日が振込期限なんです! お願いします!」
「か、かしこまりました……」
銀行員は戸惑いながらも、封筒の中身を数えだした。
その間にも、大学生活への夢は膨らみ続けている。
新歓のバーベキューに行って、オールして、彼女を作って、それから――
「お客様」
「は、はい」
「すみませんが、お金が足りないようです」
「……へっ」
「5万円、不足しています」
嘘だ。昨日エスキル社長は確かに『50万円』と御手洗さんに告げていた。入学金は30万円。いくらバカな僕でも、間違えようのない計算だ。
「え、は、へ……」
混乱して言葉が出ない中、僕はある考えに思い至った。
50万円というのは、あくまで御手洗さん1人が担当した場合の報酬だとしたら……2人で仕事をしたのだから報酬は半分になる。
50万円÷2は……えっと――
「あります」
突然背後から声が飛んできた。すぐに色白の腕がすっと伸び、銭受け皿に5枚のお札が置かれた。
振り向くと、御手洗さんがいる。
「か、かしこまりました」
銀行員は訝しみながらも着々と事務作業を進めていく。
そんな光景を、僕は唖然としながら眺めることしかできなかった。
「手続きは完了しました。ありがとうございました」
銀行員がそう言った瞬間、御手洗さんは踵を返した。
僕は慌てて呼び止めた。
「御手洗さん! ど、どうして」
「ヤブミーが『50万円』ってつぶやいてはしゃいでいたから。なにか勘違いしてるじゃないかと思って」
まさか僕のしょうもないつぶやきを瞬時に聞き取り、後をつけてきてくれたなんて。
驚きと感動で鼻からさらさらとした血液が流れた。
「お金に余裕が出来たら、返しにきて」
御手洗さんはそう言うと、艶やかな黒髪をなびかせて颯爽と去っていった。
「御手洗さん……神」
大学にも女子はいる。
でも、御手洗さんはここにしかいない。そう、強く思った。
***
『#春から大学生』
恐らくこのタグをつけていた人たちが今、僕の目の前で人生の絶頂を迎えている。そして僕自身も、人生の絶頂を噛みしめている。
そう、今日は大学の入学式だ。
緊張の面持ちで式典を終えて外に出ると、桜がひらひらと舞っていた。そして目の前には新歓のビラを配る先輩たちがうじゃうじゃいる。
「軽音、どうっすかぁ?」
「やっぱテニサーっしょ!」
「もうこの際だから言っちゃいます! 俺ら飲みサーっす!」
「いや、お前んとこヤリサーだろっ!」
ひとたび歩けば僕の手にチラシがどんどん積まれていき、両腕から溢れそうになっている。
きっとこのチラシの数だけ、大学生は黒歴史を積み上げていっているのだろう。今も現在進行形で。
でも、この人たちが『飲みサー』だの『ヤリサー』だのを黒歴史と思う日はいつくるのだろうか。
そしてこの中に、将来KTSに黒歴史消去を依頼する人は何人いるのだろう?
プルルルル――
突然、普段はうんともすんとも言わないスマホが鳴り響いた。
慌ててポケットからスマホを出そうとすると、動揺のあまり大量のチラシをまき散らしてしまった。周囲の視線が突き刺さり、冷汗が出る。
現在進行形で黒歴史を生成してしまっている自分に、さらなる黒歴史が襲う。
「もしもし。矢不さんのお電話でお間違いないでしょうか?」
「は、はい」
「私、安京すばる次世代大学教務課の鈴木と申しますが――」
自分の大学名を読み上げられ、心臓が歪な音を立てた。
何かしでかしていたらどうしよう。まさか、KTSが違法バイトとして摘発されて、僕も逮捕されるなんてことはないだろうか。冷汗が止まらない。
「実は、学費が期限までに振り込まれていないのですが」
「へっ!?」
予想だにしていない言葉が鼓膜を震わせ、素っ頓狂な声が漏れた。周囲の視線がより一層刺さってくる。
「で、でも、30万円は、先日……」
「そちらは入学金です。今回は授業料の方です」
そんなの聞いていない。そもそも書類が届いていない。
いや、まさか母さんが、僕に気づかれる前に授業料の振込申請書を捨てていたとしたら――
おっさんのミニ銅像に祈りを捧げる母さんが脳裏をよぎり、すぐさま脳内で抹消した。
「あの……いくらでしょうか……」
泣きそうになりながら尋ねた。
「52万円です」
「ごっジュう、に……マン……」
およそ日本語とは思えないイントネーションになり、周囲から冷ややかな笑いが起こる。
「振込期限は過ぎておりますが、ご事情があるなら1週間後までは受け付けます」
「い、1週間を過ぎたら……」
「残念ながら、除籍となります」
「ジョッ……払います……」
僕は悄然としながら腕を落とした。いつしか野次馬は消え失せ、新歓のお祭り騒ぎが随所で起こっている。
せっかく大学生になれると思ったのに、まさかまた母さんのせいで――
「ねぇ君、高額バイトに興味ない?」
振り返ると、金髪のイケメンがいた。
(第2話・了)
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