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「こいとあいは興味ない」本編


 
 教室は、無用の長物のかたまりだ。
 受験科目にない保健体育、無駄話をする教師、消しカス、日誌、色恋沙汰。考えるだけでげんなりする。

「……のために避妊具をつけろ。ところで少子化の原因は――」

 教師が語り出したが、原因は一つに決まっている。
 自由恋愛だ。無論、僕は興味ない。

「……よって少子化は問題だ」

 避妊具をつけろ、でも少子化は問題だなんて二枚舌もいいところだ。

五味ごみくん」

 甘いささやきが左耳に入る。流し目で見ると、小糸愛こいとあいが隣の席から何かを差し出していた。

「これ、早瀬はやせくんに渡してくれるかな」

 早瀬ひかるは僕の右隣に座る、インフルナンチャラーで有名な男子だ。

「お願い、五味くん」

 聞こえないふりをした。内職を中断してまで男女の仲を取り持ちたくない。

「お願い、ほまれくん」

 下の名前で呼ばれて心臓がはねる。一瞥すると、小糸愛は2週間前に染めた栗色の髪をゆらしながら上目遣いをしていた。 
 僕は数Ⅲの参考書に顔を向けたまま彼女に手を差し出すと、指と指の間に薄い紙が差し込まれた。

「ありがとう、五味くん」

 再び苗字呼びに戻ったことは別に気にしていない。
 手元を確認すると、苺の香りがする手紙があった。僕はそれを右手に持ち直して腕を伸ばした。同時に、数Ⅲの参考書の『媒介変数』という文字が目に入る。

「んだよ、これ?」

 視界の隅で、般若顔の早瀬光が手紙を雑に開いている。

「放課後、多目的室で? え、小糸?」

 なぜ彼らは高3の12月にわざわざ色恋に入れ込むのだろう。
 その答えは、放課後わかるらしい。

2

 放課後、多目的室の扉の小窓から中を覗くと、小糸愛が前髪を直していた。

「まだかなぁ、早瀬くん」

 彼女のつぶやきを読唇術で読み取って腕時計を確認すると、14分20秒が経過していた。

「やっぱり、動画編集で忙しいのかなぁ」

 彼女がうつむいたとき、ある考えが浮かんだ。
 ここは旧校舎の第1多目的室だが、もしかしたら奴は新校舎の第2多目的室にいるのではないだろうか。
 それに気づいたときには足が動いていた。そして案の定、第2多目的室に早瀬光がいた。

「小糸に嫌われたのか……どうしてだよぉ! あぁぁぁ」

 彼はムンクの叫びのような顔で嘆いている。気づいたら僕は扉を開けていた。

「早瀬光」
「……んだよ、五味」

 彼は何事もなかったかのように立ち上がり、声を荒らげた。

「この教室は職務のために使用する。即刻退去してくれないか」
「はぁ? 俺は今から大事な用事があんだよ。威張りやがっ――」
「だ・い・い・ち多目的室なら空いている」
「なっ……!」

 彼は部屋を飛び出した。

 翌朝清掃をしていると、偶然にも小糸愛とその友人の声が聞こえた。

「愛、昨日どうだった?」
「早瀬くん、来なかったの」
「ひどいね。早瀬は二面性がありそうだしやめておいたら?」
「心配してくれてありがとう、みやこ

 都とは、恐らく水川みずかわ都だろう。ひっつめ髪と凛々しい表情が特徴的な女子だ。密かに全国順位を競っている。

「でも、早瀬くんはそんな人じゃないよ。あのとき助けてくれたもん」
「ならもう一度呼び出したら?」
「ううん……嫌われてるかもしれないし」

 彼女たちの声が遠のくと、僕は教室に戻った。そして授業が始まると、両隣の行動が気になった。
 小糸愛はわざと落とした消しゴムを拾う際に早瀬光を一瞥し、視線が合わずにうなだれる。その直後、早瀬光も全く同じ行動をとる。その繰り返し。 
 僕の瞳は左右にゆさぶりすぎて眼精疲労を発症した。内職も手につかない。耐え兼ねて、日誌に一言添えて早瀬光に差し出した。

「んぁ?」

 それをぶん取った彼は雑にページをめくった。

「放課後に図書室の窓際の席? え、小糸?」

 僕はようやく意識を参考書に戻した。

4
 
 小糸愛は部活を引退してから放課後に図書室へ通うようになった。今日も裏庭から窓越しに彼女の姿が見える。以前はスマホを操作していたけど、最近は勉強をしている。

 アホたれも思惑通り図書室にやってきた。ドラマのワンシーンのように2人の視線が劇的に絡み合う。僕は読唇に注力した。

「早瀬くん……どうして」
「ご、五味から日誌……いや、小糸と昨日会えなかったから……で、昨日の用事ってなに?」
「え、えっと、ね……」

 小糸愛の頬が赤く染まる。

「クリスマスの日、会えないかな?」
「「えっ」」

 早瀬光と僕の驚嘆が窓越しに重なった。

「この前のお礼がしたくて……16時に駅前の噴水に来てほしいな」

 唖然として、思わず窓枠に手をかけた。

「五味」
「ひゃっ」

 突然背後から肩を力強く掴まれ、図書室の窓から引きはがされた。ふり向くと水川都がいる。

「五味が何でここにいるの?」
「が、学級委員長の職……」
「日誌に変なことが書いてあった。あれ、五味の字だよね? 右はらいが異様に長いし」

 僕の筆跡まで知っているとは流石水川都だ。降参した僕は潔く事情を話した。

「ふうん。つまり、頼まれてもいない恋のキューピッドをしてたんだ」
「こ、恋のキューピッド?」

 確かに手紙は取り次いだけど、そんなんじゃない。

「自覚ないの?」

 激しく首肯すると、彼女は呆れた様子でため息をついた。

「……じゃあいい。でも、愛の邪魔はしないで。ああ見えて恋愛にはウブだから」

 釘を刺すと、水川都は踵を返して去っていった。

5

 来たるクリスマス当日。僕は全国模試会場で水川都を見つけた。

「同じ会場なんて奇遇ね。今日は負けないから」

 挑発的な口調とは裏腹に、彼女は嬉しそうな表情をしている。 

 それから試験が始まったが、いつもの調子で問題を解けない。
 すると、汗でべたつく左手で解答用紙を破ってしまい、教室に大きな音が響いた。左隣から視線を感じて視線を移すと、小糸愛と錯覚した。水川都だった。

 あ・せ・ら・な・い。

 読唇で読み取ったのは、彼女からの無音の励ましだった。 
 こうして午前中の科目が終わり、昼休憩に入った。水川都は一切話しかけてこないが、苺の香りが漂ってくる。彼女はフルーツサンドウィッチを食べていた。

 きっと今日苺ケーキを食べる受験生は、恋仲にある男女だけだろう。

 それからも試験をこなして小休憩に入った。時刻は16時20分。今頃あの2人は会っているのだろう。すると、左隣から「バカ早瀬」という言葉が飛んできた。

「ど、どうしたの?」
「早瀬が来ないんだって。今公衆電話からかかってきた。電話もつながらないって」
「えっ」

 詳しく聞く間もなくチャイムが鳴る。次の科目は得意の数Ⅲだが、視線が問題文の上をすべった。
 そんな中、ひとつの単語が目に留まった。

『媒介変数』。ⅩとYをつなぐ変数。

 たぶん、僕は小糸愛と早瀬光をつないでいた。水川都の『恋のキューピッド』発言は的を得ていた。
 ならば最後まで貫けばいい。それで彼女が悲しまずにすむのなら。

 シャーペンの芯が折れた直後、僕は教室を飛び出した。


 
 電車を乗り継いで駅前の噴水に向かうと、うずくまる小糸愛を見つけた。  
 時刻は17時3分。数多のカップルを横切って小糸愛に近づいたが、次にとるべき行動が浮かばない。答えのない問題に絶望した。
 
 すると突然小糸愛が立ち上がり、駅の方向へ歩いていった。
 このままだと、彼女が悲しむ。 
 僕は必死に最適解を考えた。走馬灯のような記憶の中を探る。

 ――放課後、多目的室で? え、小糸?

 早瀬光の驚嘆が想起される。

 ――16時に駅前の噴水に来てほしいな。

 小糸愛の言葉がよみがえる。

 2人は前回も今回も出会うことができなかった。なぜか。
 ひらめいた僕は、ありったけの声で叫んだ。

「あと17分後に早瀬光が来る!」

 多くの男女の中で、小糸愛だけがこちらへ振り返った。瞳には涙が浮かんでいる。
 僕は気づかれる前に人ごみに紛れて駅へ疾走し、すぐさま電車に乗って3駅先の駅で降りた。改札を抜けると、駅前のロータリーの隅には目的のものがあった。
 見逃しそうなほど小規模な噴水だ。案の定、その横で早瀬光がうなだれている。

「早瀬光ー!」

 僕の叫びに気づいた彼は、瞬時に般若顔をこしらえた。

「んだよ。また――」
「もう一つの噴水だ!」
「なっ……!」

 呆気に取られている彼の腕を強引に掴んで疾走し、ドアが閉まるすれすれで電車に飛び込んだ。

「五味、どうして……」

 こちらに顔を向けた早瀬光は、もう般若顔ではない。
 僕は呼吸を整え、告げた。

「僕は君たちの、『媒介変数』だから」

 噴水の前で2人は落ち合った。少し離れた場所から、読唇に集中する。

「遅くなってごめん。嫌われた、よな」
「ううん、そんなことないよ」

 ぎこちない2人の視線は一向に交わらない。しかし、小糸愛は決意の面持ちで口を開いた。

「私、早瀬くんに感謝してるの」
「いや、俺はなにも」
「ううん。私が早瀬くんのSNSにコメントしてファンから叩かれちゃったとき、早瀬くんは私のことをかばってくれたから」

 小糸愛がSNSの炎上に巻き込まれていたなんて知らなかった。

「かばうのは当然だよ。それに、俺が親しげにコメントしたのが悪いんだ。女子ファンが多いのは自覚してたのに、配慮が欠けてた。ごめん」

 つまり、小糸愛は女子ファンの嫉妬によって傷つけられ、それを早瀬光が沈静化させたということか。いくら彼に二面性があろうと、彼女にとっての早瀬光はまぶしい存在でしかないのだろう。

 反対に、僕がいくら仲介に必死になろうと彼女には気づかれさえしない。

「私、あのときから怖くてスマホが見られなくなっちゃったんだけど、もう大丈夫。早瀬くんがいるから」

 謎が解けた。彼女が最近スマホを使っていなかったのは、SNS炎上のせいでトラウマになっていたからだったんだ。僕はどうして気づけなかったのだろう。

「早瀬くんあのね――」

 彼女は頬を赤らめながら微笑んだ。

「好きです」

 突然視界がぼやけ、彼らの口元が読み取れなくなる。
 僕はあふれる涙を拭い、静かに踵を返した。

 雪の降る中、置き忘れた参考書を取りに試験会場に戻った。
 僕がいた部屋にだけ明かりが灯っている。入ると、水川都がいた。

「愛は早瀬に会えたの?」

 首肯すると、彼女は胸をなでおろした。

「でも遅すぎる。また2人の会話を盗聴したの?」

 答えずに参考書を取って踵を返すと、震える声が響いた。

「愛のこと、好きだったんでしょ」

 意表を突かれ、思わず振り返る。

「違う。僕はただ――」
「4月からずっと、愛のこと見てたもんね」

 水川都は立ち上がり、僕を見据えた。

「初めて愛を見た日、五味は見惚れてた」

 自覚はなかった。ただ、黒髪ボブから苺の香りがしたことは鮮烈に覚えている。
 だがその黒髪も2週間前に栗色に変わってしまった。たぶん、早瀬光の好みに。

「学級委員長に立候補したのって、愛のタイプが人を惹きつける人だと知ったからだよね。勉強にしか興味がない五味が学級委員長をやるなんて不自然だった」

 図星だ。だが、実際の学級委員長は損な役回りで、人を惹きつけることはできなかった。

「でも、愛は全然振り向いてくれなかった。だから五味の性格はどんどんひねくれていった」

 これも図星。2年までは他人に興味を持っていなかったのに、小糸愛と出会ってからは劣等感に襲われ、厭世的になった。

 でも――

「……どうして僕のことがわかるんだよ」

 小糸愛は僕に興味ない。だから友人の水川都は尚更知らないはずだ。
 胸が苦しくなったとき、水川都が叫んだ。

「五味のこと、ずっと見てたからだよ!」

 彼女の凛々しい顔が崩れる。拍動が乱れた。

「五味が愛を目で追うように、私も五味をずっと見てたの!」

 僕と彼女の涙が同時に落ちた。

「……いつから」
「1年の模試で全国順位を抜かされたときから。全然勝てないから嫌いになったのに、気づいたら……もう、わっかんない」

 水川都は子どものように泣きわめいた。僕も泣いた。

 恋と愛にも、小糸愛にも、興味なんか……なくしたい。

 やけくそな感情を出し切ると、雪は雨に変わっていた。
 轍のような涙の跡を拭った水川都は、ぽつりとつぶやいた。

「買ってきたよ、売れ残り」

 僕たちは点滅を繰り返す蛍光灯の下で、ひとつの苺ケーキを分け合った。
                            
(了)

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