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【読書感想】発達「障害」でなくなる日/朝日新聞取材班

題名:発達「障害」でなくなる日
作者:朝日新聞取材班

■気力の変化 ※読み終えて気分がどのくらい高揚したかの個人的指標(1~100)

読前気力「53」
読後気力「49」

■読後のひとこと

発達障害は結婚して家庭を持ってからの方が辛いのかもしれない。もちろん、相手によるとは思うけど。家庭を持っても辛いなら、もう救われないじゃん一生。また、みんな結婚して子供を産んでいるけど、自己肯定感は高かったのかな。高くないと結婚は難しいよね?結婚に踏みきった理由や背景をもっと知りたくなった。

■誰かに勧めるなら

・発達障害かな?と悩んでいる人
・発達障害かな?と身近に感じる方がいる人

■3つのポイント

①発達障害に悩む人の体験談を読める
②当事者に限らず、周りで苦しむ「カサンドラ症候群」
③改正障害者雇用促進法の「合理的な配慮」とは何なのか

①発達障害に悩む人の体験談を読める

発達障害が悪いのか家庭環境が悪いのか、発達障害を抱えながらも結婚して子育てしている女性たち。
家庭環境が原因で精神を壊してしまうのは、子供も親も同じだ。
子育ての責任感と、夫からのいじめにより、母親失格と追い込んでしまう。
家事がうまくできないのは、発達障害が関係している。
例えば、段取りがうまくたてられない。物忘れが多くて記憶があやふやになるなど。夫から見たら当たり前にできる事ができないので、夫は「怠慢だ」と怒る。

これを読んでいて、まるでブラック企業だと思った。ブラック企業じゃないか、ブラックファミリーか。
家事に賃金は発生しないし、間違えたら怒鳴られるし、人格攻撃を受けるし。しかもやめられない。

…、なんだこれ。結婚とか子供とか家庭を持つって、それが人生における希望だと私は思っていた。私は自分の家族しか知らないから視野が狭いけど、両親を見て、お互いに助け合う存在なのだと思っていた。そうじゃない家族を知った。ここに紹介されているのは、女性が被害者の話だけど、きっと性別に関係なく、どちらかが一方的に攻められて精神を病んでいく家庭があるのだろう。子供がいたら、子育てやお金の問題もあってなおさら辛いだろう。子供はなんの罪もないのにね。

じゃあ、発達障害を持っている人は結婚しないで自分の代でDNAを終わらせろ、という考えは行き過ぎかもしれない。(私は、私個人に対してそのように考えているのだけど)大切なのは、発達障害を理解してくれるパートナーに会うことなのかな。家族になるなら、自分の味方でいてくれる人がいいよね。

②当事者に限らず、周りで苦しむ「カサンドラ症候群」

「カサンドラ症候群」とは、ギリシャ神話に出てくるトロイアの王女から来ている。
彼女は予知能力を授かったが、「周囲から信じてもらえない」という呪いをかけられ、苦悩した。
そこから、パートナーが発達障害のため上手くコミュニケーションが取れず、心や身体に不調を感じることを「カサンドラ症候群」と呼ぶようになった。
※ただ、正式な病名ではない

パートナーの発達障害に悩む場合、大切なのは、パートナーと一緒に心療内科に行ってみること。そこで病名の診断をもらう。加えて、信頼できる医師や第三者と、どうすれば良いのか相談することになる。
相談のうえ、パートナー同士で話し合い理解が進むこともあれば、反対に、自分の幸せのために別れる選択をする人もいるそうだ。

家族という閉鎖関係では、第三者の介入が大切なのだろう。

③改正障害者雇用促進法の「合理的な配慮」とは何なのか

「合理的な配慮」とは、2006年に採択された国連の障害者権利条約に盛り込まれた考え方だ。多目的トイレを設置するなど環境整備とは違い、目の不自由な人にメニューを読み上げるなど、一人ひとりの希望に応じた配慮をすることを指す。

日本の改正障害者雇用促進法では、合理的な配慮は「提供する側の過重な負担にならない程度で」雇用主は配慮する義務がある。

法律で定められることにより、“思いやり”のイメージが強かったバリアフリーが、配慮が欠けているなら裁判で訴訟できるという、(思いやりという)気分に左右されないものとなった。
だからと言って、社会に合理的配慮が浸透しているとは言い切れない。
2021年に東京で行われた調査では、合理的配慮を知らない人は約7割に上る。
また、障害者雇用でなく通常枠で採用されたなら、障害を理由に配慮を求めるのはわがままだ、という風潮が強い。

大切なのは、本質を見抜くことだという。
仕事をする上で大切ではない部分に強要はないだろうか?
例えば、仕事ではないが、職業訓練の希望者を却下した事例があった。その理由が、「服装が適切でなかったから」。しかし、職業訓練は働き方を学ぶことであり、服装は関係ない。服装が適切でないという勝手な障害を提供者が作り上げたのだ。

もちろん何でもかんでも配慮することは難しいだろう。だけど、本質を考えたら、配慮できることって沢山あるのかもしれない。

■執筆後のひとこと

ずっと自分が思ってたことがある。
「スーツ着ないと社会人として認めない感じが嫌だな」
スーツって、お金がかかるし、アイロンかけるし、襟が皮膚に当たって痛いし…、と、個人的にはとても嫌いなものだ。
もちろん、私服OKな企業は増えてきた。でも、増えてだけで、「〇〇だから私服でいい」と条件を要求する。
ビジネスカジュアルに関してはバカらしいくらいムカつく。だって、「ビジネスカジュアルは何を着るべきか」って、ルール定めるならカジュアルでも何でもなくて、むしろスーツ着るより神経使うじゃん。

と、書いていると自分が自己中な感じになってきて苦しくなる。
だって、スーツ着るなんてほとんどの人は何のことでもない。普通に出来ることだ。


きっと、私にとってのスーツが、みんなの中にもスーツ以外のところで感じる時があるかもしれない。その瞬間に、「合理的な配慮」を思い出して欲しい。自分が普通に出来ないところがあると気付いた瞬間が、社会をより良くする瞬間だから。

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