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人は二度、死ぬらしい。

今年はコロナの影響もあって墓参りへ行けずにいる。

高齢の母が気にかけているが、もう87歳になる母を大阪から墓のある岡山県まで、車とはいえ連れて行くのも大変だ。

日中の気温の高さは殺人的だし、道すがら休憩に入った店内は汗が冷やされて今度は寒い。

体調を考えたら今年は控えるべきだと思う。

なのに母は昔の人だから、先祖のために墓参りはキチンとすべきだと義務感のように強く思い込んでいる。

私はと言うと、実はそう思っていない。

毎年、父も眠る墓参りをしているが御先祖様のためという意識は薄い。


私は墓参りという儀式は、生きている者の心のケジメのようなものだと思っている。

「今年もやって来ました。」
「昨年から一年、あぁこんな事があったな、しんどかったな、嬉しかったな」と感じ入る瞬間だ。

それを墓の前で、神聖な気持ちで手を合わす。

清々しく感じる。

一年を無事に過ごし、また来られた安心と、すべき事をしたという心の整理。

先祖の魂の為というより、私は私の為だ。

母も実はそうなのだろうと思う。

墓の周りの草を刈って、墓石を拭いて、お供え物をする。

そこに先祖の魂があるのか、不敬な私には正直わからない。


人は二度死ぬ と確か、永六輔さんが言ってたっけ。

一度目は、その人が亡くなった時。

二度目は、その人の記憶を持つ者がいなくなった時だそうだ。

そういう意味では私の父は、目の前の墓にいるのではなくて私の心に生きている。

私や母や姉弟が、この世からいなくなれば本当に父は死ぬんだなと思う。


私が死んでも子供たちがいる限り、私はまだ生きてるんだと言える。

私は墓参りをしなくても良いから、ただ心の中で思い出してくれたら良いなと思う。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。




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