小さなちいさなひとつの物語。

私が以前書いたひとつの物語。



『まちこちゃんとお空の母さん』

女の子の名前はまちこちゃん。
毎日まちこちゃんは学校帰りに、家の裏にある誰も入ることのない小さな山にこっそり登る。
登るといっても、五分ほど登れば頂上についてしまうのだけれど。
まちこちゃんが頂上に立ち、ふいっと空を見上げると、いつもそこにはオレンジぐらいの大きさのてらてら光るお日さまがあって、遠くの山へとすーっと吸い込まれていく場面に遭遇する。
そして必ずそのあとに、お空にいる母さんの柔らかい声が降ってくる。
「まちこちゃん、まちこちゃん」
「なーに、お空の母さん」
「今日は学校どうだった?」
「今日はね、休み時間にかなちゃんとゆみちゃんと一緒になわとびをしたの。100まで引っ掛からずに跳べたのよ。」
「それはすごいわね~。」
お空の母さんの声はとてもうれしそう。
まちこちゃんのほっぺたもほんのりと赤く夕焼け色に染まった。
「まちこちゃん、もうすぐ暗くなってしまうわね。
気をつけて帰りなさい。また明日ね。」
「お空の母さん、また明日ー。」
まちこちゃんは空に向かって大きく手を振り帰っていった。

次の日も学校帰りに裏山へと登り、お空の母さんとの秘密の会話が始まる。
「まちこちゃん、まちこちゃん」
「なーに、お空の母さん」
「今日は学校どうだった?」
「今日はね、給食がとてもおいしかったの。カレーライスだったんだよ。母さんが作ってくれたカレーみたいだった。とろりと甘いところがそっくり。
母さんのカレーもう一度食べたいな。」
お空の母さんはしばらく何も言わなかった。
まちこちゃんもただ黙って、薄紫に滲んでいく空をじっと眺めていた。
そのとき、突然空から温かい水滴がまちこちゃんのおでこに、ぽっぽっと落ちてきた。
手でぬぐって口元にやると、ほんのり塩からい味がした。
そして、
母さんの匂いがした。
「まちこちゃん、もうすぐ暗くなってしまうわね。
気をつけて帰りなさい。また明日ね。」
「お空の母さん、また明日ー。」
まちこちゃんが空を見上げると、空は濃い紫色になっていた。
誰かがしくしく泣いているようで何だかとても悲しくなった。

次の日もまちこちゃんは母さんとの会話を楽しみにしていた。
裏山へ行くと、いつものように母さんのやさしい声が
零れ落ちてくる。
「まちこちゃん、まちこちゃん」
「なーに、お空の母さん」
「今日は学校どうだった?」
「きょうはね、美術の時間に絵を描いたの。母さんの絵。」
そう言ってまちこちゃんは、手に持った画用紙を空へと向かって大きく掲げた。
「あらまあ、よく描けてるわね。でもかあさん、こんなにきれいじゃないわよ。」
「うふふふふ」
二人の笑い声は、この静かな場所でオルゴールのように響いていた。
「まちこちゃん、あのね」
母さんの声が少し震えているような気がした。
「明日からかあさん、ここには来られなくなってしまうの。」
まちこちゃんはただ黙って聞いていた。
どうして、とは聞かなかった。
「でもね、母さんはずっとまちこちゃんのことをお空の上から見ているからね。まちこちゃんがうれしいときも悲しいときも、楽しいときも寂しいときも。だから、大丈夫よ。」
「うん」
まちこちゃんは小さく頷いた。
「母さんの一番大切な大好きなまちこちゃーん。」

気が付くと、まちこちゃんは満天の星空の中に立っていた。
何千、何万という星たちがまばゆい光をたたえて、まちこちゃんを優しく包み込んでいる。

母さんからのプレゼント。

まちこちゃんはそう思った。
「母さん、ありがとう」
まちこちゃんは温かい星の光を体いっぱいに浴びながら、前をまっすぐに向いて帰っていった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?