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母にかけられた呪いを解いた娘とのボール遊び

最近急に運動が楽しくなった。

暇を見つけては任天堂Switchのフィット系ゲームで運動したり、YouTubeでお気に入りの動画を見ながら筋トレやストレッチに励んでいる。

メンタルも体調も驚くほどいい感じになった。

しかし私は、つい最近まで運動やスポーツは苦手…どころか嫌悪の対象ですらあった。

オリンピックやワールドカップの話題、スポーツニュースすらも見たくない聞きたくない。

運動にまつわるものは私を不快にし、苦しめるものだった。

そんな私が、今ではほぼ毎日何かしらの筋トレなどの運動をするような人間に変化した。

「私は運動がすごく苦手」

物心ついた頃からつい最近まで私は運動音痴だと自負しており、それ故に学生時代の体育では辛い思いをしてきた。

辛い気持ちを思い出してしまうため、スポーツ全般、ニュースすら目にもしたくないと思うようになってしまっていた。

しかし、大きなきっかけを経てそのイメージが崩れることになった。

コロナをきっかけに退会してしまったけれど、数ヶ月楽しく通ったジムでトレーナーさんに言われたひとことがまずひとつ。

「身体能力が高いですね。フォームが良い、すごく筋がいいです。」

マシンの使い方をレクチャーしてもらっている最中に言われたこの言葉。

このとき『実際の私と、私が自分に対して抱いている認識に差があるのではないか?』と、初めて想像した。

(トレーナーとして顧客のやる気を失わせないために言ってくれたのかもしれないけれど)

身体能力が高い、体の使い方が上手だ、とプロからお墨付きをもらった私はコロナが本格化してきて夫に「しばらくジムにいくのはやめた方がいい」と忠告されるまで、週4~5回ジムに通って楽しく運動を続けた。

運動をすることで体と心の不調は随分解消され、

「運動って悪いことばっかりじゃないんだな〜」

と体を動かすことに対する嫌悪感がかなり薄れた。


そしてある日『私は運動が苦手だ』と強く信じてきた大きな原因を発見した。

「おかあしゃん、ボール遊びしよ〜」

ある日、もうすぐ3歳の娘に誘われて、寝室で小さいボールを投げ合いっこした。
娘は終始ニコニコして笑い声をあげ、とても楽しそうだった。
ボールをうまく受け取れなくても「よっしゃー」と転がったボールを取りに行った。
私が投げる方向が明後日になっても満面の笑顔で「だいせいこー!」と喜んでくれた。
ベッドの上でボールを追いかけて娘の足がもつれ、転び、それでも娘は楽しそうに笑いながら起き上がった。

そのとき、頭の中で再生されている声に気づいた。

ー 『あんたはほんまどんくさいな』

笑顔でボールを拾い、私のところに届かなかったボールを追いかけて、
投げたつもりで自分の足下にボールをまた転がした娘はまた「だいせいこう!」とはしゃいだ。

ー 『ボールもまともに投げられへん』

ボールを投げ返し、受けそこねてお腹にあたったボールを笑いながら拾いにいく娘を微笑ましく眺めた。

ー 『ほら、ほんまどんくさい!ちゃんと受け取って』

娘からボールを受け取り、投げ返しながら私も笑った。

ー 『ほんまにあんたは運動神経ないなぁ』

「大成功!いいボールだね!」
頭の中の声をかき消すように娘に大きく声をかけた。

ー 『あんたはアカンな、体の使い方がへたくそやわ』

「ボール遠くに行っちゃった!取ってきて〜」
楽しそうな娘とのかけあいを楽しみながら頭に響く声に涙が滲んだ。

これは、私が何度も何度も言われてきた懐かしい言葉。


ー 『ホラ見て、この子運動あかんな。どんくさすぎる』

何度も何度も言われ、聞き慣れた言葉たちが私の中で響いた。

心底楽しそうにボール遊びをする娘と声を掛け合うと同時に、頭の中で聞こえていたのは母の声だった。

声をかけられていたのは小学校に上がるより前、おそらく幼稚園に入るより前の私。

ボール遊びで、公園で、プールで。

母は、姉弟たちと遊ぶ間も、何度も何度も私には

「どんくさい。あんたは運動神経がない。」

と言い続けた。

その甲斐あって、小学校に入る頃には「私はどんくさくて運動が苦手な人間だ」としっかり思い込んでいた。

足が遅く、球技が下手で、リズム感がなく、みんなの足手まとい。

そのまま、大人になるまでそう思い続けていた。

親の言うことは正しい、と素直に思い込んでしまっていた幼く可愛い私。

2歳や3歳なんて、スイスイキャッチボールが出来なくて当たり前なのに。

それなのに言われた通りに「私はどんくさくて運動神経が悪い子供だ」と親の言葉を自分の意志で体現していった。

自分は下手だ、と信じているから取り組むときには体がこわばる。

友達や先生とのなんでもないやりとりも「私がどんくさいから、みんなの迷惑なんだろうな」と受け止めて、体育の全てが嫌になり、やる気は別のところに向けることにした。

そうやって忠実に、母の言う通りに、運動神経が悪く体育が苦手などんくさい私を作り上げていた。

娘とのボール遊びで突然蘇った母の声、忘れていた聞き慣れた言葉たち。

なんだ、思い込みだったのか。

母の戯言を真に受けて、親の判断を盲目に信じそれを本物にするために、こんな歳まで自分を騙し貫いていたのか。

子供の頃の私にとっては親は神で、脅威で、生活の全てを左右する唯一の存在だった。

親というものは完璧な人間だと思い込んでいたし、自分は庇護され管理され叱責される立場だと疑わなかった。

(私の母は基本的に『親のいうことは絶対。親が上、子供は下!』というポリシーで強めに子供を抑圧するかたちで接してきていたので尚更だった。)

しかし、自分がお母さんになりいざ家庭を作ってみると、家族というのはなんと頼りない関係であることか。

親というのはこんなにもぼんやりとツギハギだらけの未熟な人間だったのか。

(私が特別しっかりしていないだけという可能性はおおいにあるけれど。)

自分があの絶対的な信頼を寄せ畏怖していた“お母さん”の役を担うことで、お母さんが、所詮ただの人間だと知った。

そして、大人になってからの言動や関係などを見るにつけ、母よりも私の方がまだ少しマシな人間であるとすら感じられるようになった。

母は、ただの普通の…気の強い、狭い世界しか知らない小さい女性。

私に呪いをかけた魔女を眺めていた色眼鏡を外せたことで、呪いは解け、運動を楽しむことができるようになってきた。


親の言葉というのは、親というのは、そのつもりがなくても子供には大きな存在だ。

そのことを忘れないように気をつけていきたい。

そして私は今日も楽しく、明日の自分のために時間を見つけて運動をする。



ブログでもいろいろなことを書いています。


運動すると、身体のだるさがとれてよく眠れるようになりました。

不思議なことに「ないと生きていけない」と思っていたお酒すらかなり量も頻度も減りました。

うまく受け止められない、投げられないなど全然気にせず「大成功!」と大喜びでボール遊びをしていた娘のただ楽しそうな姿を見たことで、下手でもリズムを掴めなくても自分を恥じる必要がないことを知りました。

娘の様子から忘れていた幼い頃の言葉を思い出し、大人の目線で否定することで、私の老後の足腰はちょっとマシなものになりそうでよかったです。

読んでくださってありがとうございます!