3月25日

大学のごく近くに住んでいる私にとって通学路でもある道を犬と散歩していると、春のぼんやりとした陽気に似つかわしくない怒声が聞こえてきた。声のする方を見てみると、あるアパートの一室で、男性が立ち上がって姿は隠れているが床に座っているだろう相手に向かって激昂しているのが窓から見えた。薄暗く狭い部屋。怒鳴り散らかす男。逃げられない女子供。息苦しく体を締め付ける光景が頭に浮かんだ。警察に通報しようかとも思ったが、部屋番号がわからなかったし、警察を呼ぶことでかえって絶望を深めてしまうかもしれないと思い―ああゆう類の男は概して外面が良く、警察が彼女達の味方になるとは考えにくい―通報は見送った。あの場で一方的に加虐されていたのは女子供であるという確信があった。放心状態でほとんど犬に引っ張られる形で家に帰り、食事をとる予定だったが胸のむかつきを感じて体を抱えて横になった。家の外まで響く怒声を閉じられた至近距離で、覆い被さるように今にも手を振り上げんばかりの勢いで浴びせられている人がいる。自分の幼少期の記憶が蘇ってくるようでいけない。私が男性恐怖症になり恋愛を忌避し家庭に対する恐怖を植え付けられた実家暮らし。散歩の帰り道、足を機械的に動かしながら「殺人犯の9割は男」「日本での配偶者間における暴力の被害者の9割以上が女」「精神的暴力もDVの一つだと彼女達は知っているだろうか?」とぽつぽつとどこかで聞いた情報や疑問が湧き上がってきた。今は女子大学に通い男性とほとんど関わらずに過ごせているが(父と弟とも)、関わりのない家庭の一場面を目撃しただけでこんなにショックを受けてしまうのに、未だ男性優位社会でほとんどの組織の上部が男性性を持つもので占められている日本社会で生きていけるのか、無理だ、と思ってしまう。高校生の時にはそれを悟り、女子大学に進んで心理士の資格を取り女性の同僚、女性の患者しかいないレディースメンタルクリニックで働こうと思い進路を決めたが健康上の理由で難しくなった。幸か不幸か伸びた学生期間のうちに自分を殺さず生活費を稼ぐ術を見つけなければならない。
私は大家族に並々ならぬ憧れがあるのだが、家族を持つことも私には望み薄だろう。日本では同性婚はできないし養子制度も両親となるものの法律婚が求められる。だからといって男性と一緒に暮らすことはとても考えられないし、子供を自分で産むことにも否定的だ。父と暮らしている時毎晩父が包丁を持って殺しにくるかもしれないと思いながら眠りにつき廊下の軋む音に心臓を冷やしていたのだから当然だろう。子供も他人が産むぶんには構わないし友達の妊娠出産はとても喜ばしい。だが自分が新しい人間を生み出すとなると別で、反出生主義的考えを持っている。産まれてこないことが1番子供にとっての幸せだと思ってしまうし、産んだとして日本で育てることになった時女の子だったらこの社会で生きていく不憫さにやるせなくなり男の子だったらどんなに気をつけても将来加害者の1人になってしまうことを思い見ていられない。その赤ん坊がが男根をもつと言うだけで拒絶してしまいそうなのに親になんかなれっこないとわかっている。だけれどどうしても憧れてしまう。元気な祖父母、仲のいい父と母、たくさんの子供たちで賑やかな部屋。いや、正確に言うと2人以上の大人と数人の子供が‘ 家族’という認識で寝食を共にする家のことかもしれない。私の密かな趣味はTwitterのマタニティ垢と育児垢を見ることである。彼女達自身の妊娠出産に伴う身体の変化と彼女達の子供の成長を垣間見ることで心が慰められている。

学校といえば、うちの大学も授業開始日が4月後半に延期になった。学校が始まると思って3月いっぱいまででジムの退会手続きも済ませているし、4月は外出も自粛するつもりなので大変暇になる予定である。この機会にもう一年以上書ききっていない小説を書けたらなあと思う。AmazonPrimeVideoでも観たい映画がだいぶ溜まってきたので消費していきたい。


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