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4月5日

体に力が入らない。何もかもがだるい。そんな日だった。盛大なため息を三分に一回の頻度で吐き続けた。身支度をするにもため息、散歩に出てもため息、ご飯を食べてもため息、聞かされる母はさぞ気が滅入ったろう。

なぜこんなにため息が出るのか、理由は明確だ。明日学校に行かなければならないからだ。資料を取り、図書館へ本を返し、その場で履修科目を決め、諸々の手続きの為に事務室をまわる...予定だった。散歩から帰宅し、最後の足掻きと大学HPを覗くと、書類をweb公開する旨が新しく出ていた。だが、「web公開(及び学校で配布)」と書いてあるのが気になる。「一部web公開(及び学校で配布)」と書いてあるものもあった。また、「よって特に必要がなければ学校に来なくてよろしい」とも明示されていない。結局、学校に行かなければいけないのだろうか、それとも自宅にいていいのだろうか?わからない。明日朝一で学校に行こうと思っていたが、とりあえずPCの前で待機しようと思う。

家にいる時間が増えると、その中で楽しみを見出そうとする。まず食。やたらと豪華な凝ったものや、手っ取り早く快楽を得られるカロリーの高いものを作りたくなり、肥えること必至。次にお風呂。明るいうちから長風呂をしてみたり、色鮮やかな入浴剤を入れてマッサージをしてみたりする。幸い、うちには貰い物のちょっと良い入浴剤が溜まっていたので、存分に楽しめている。今日は薔薇の香りのするピンクの入浴剤を入れた。薔薇は見た目も香りも大好きで、薔薇モチーフの小物やハンドクリームをついつい買ってしまう。将来、一株でもいいから薔薇を育ててみたい。そんなことをお風呂で考えていたら、ある小説のことを思い出した。地方の学校の女教師、完璧な庭を持つ近所の素敵な老人、彼が待ち続ける長年の遠距離恋愛の相手、幸せに満ち溢れた庭...そんな途切れ途切れの情景が浮かぶが、タイトルが思い出せない。何かの短編集の後半にあった。アリス・マンローの「イラクサ」?それとも他になにか読んだかしら、とノートをめくってわかった。モンゴメリの「白いバラの女の子」に収録されている、「ディックおじさんのうつくしいバラ」だ。児童書に分類されている作品で、大人向けを読みなれていると作品の解像度は低く感じるかもしれないが、心に与える素晴らしさは変わらない。

モンゴメリといえば「赤毛のアン」が代表作だが、続編を読んだことがある人は案外少ないのではないだろうか。「アンの青春」「アンの愛情」「アンの幸福」...と計十一冊の本が出ている。アンの人生とアンの子供たちの人生があの豊かな筆致で描かれている。おうち時間のお供にアンの世界に浸るのは素敵かもしれない。

赤毛のアン(全11巻〔冊数12〕セット) (新潮文庫) https://www.amazon.co.jp/dp/4102114009/ref=cm_sw_r_cp_api_i_0lCIEbW0DFGM5

散歩している時、「次仕事が休みの日に、ショッピングセンターにランチに行かない?」と母に誘われ、危機感のなさに思わず引いてしまった。こわい。
でも母も仕事(流通を担っているので自粛できない)の気分転換をしたいだろうし、前々から行きたいと言っていたし、次いつ行けるか分からないし...とも考えてしまったが、そういう人が感染拡大の原因となってしまうのだろうと思い直し、夕飯時にコロナの危険性と各国の厳格な対応について少し話した。母は何事に対しても楽観的な人だ。
熊本地震の時のことを思い出す。父は報道の仕事で出ずっぱりで、母と弟と三人で車で小学校に避難した時、突然母が誰にも行き先を告げずに二時間程姿を消したのだ。メールにも返信が無いし、電話にも出ない。他の人たちも自分の家族のことで手一杯で頼れる大人が一人もおらず、学校の周りをぐるぐると探し回った。後日大規模半壊の烙印を押された、当時崩壊の危険があるかもと言われていたマンションに行ったのではないかと不安と怒りで泣きそうになっている中、遠方の親戚がたまたま近くに物資調達に来ていて、従姉妹に怒りを吐き出したら、「仕方ないよ。あの姉妹(母とおば)、非常時にはポンコツになるからね。覚えときな」と言われた。しばらくしてへらへら笑いながら信じられない量の荷物とチャリを抱えて何事も無かったかのように帰ってきた母を見て、怒りと呆れで心底嫌いだと激しく思った。今、母は洋服の切れ端でガーゼも何も付けてないマスクを作っている。「普通のマスクより圧迫感ないから」と。繊維の隙間が大きいからだろう。意味はあるのだろうか?感染の点は考えず、社会的なポーズをとるためだけならいいかもしれないね、と言った。心配で気がおかしくなりそうだ。私が心配性なだけだろうか、政府のウイルスに対する対応が日本と諸外国で違いすぎてわからない。

昨日、向かいの家の二階で、マスクをつけたおばあちゃんの窓を開けてじっと外を見ている姿が、隣の運動公園から聞こえるサッカークラブの子供たちの声を背に目に入って、その温度差に恐ろしくなってそっとカーテンを閉めた。何か恐ろしい、映画「パラサイト」を見た時に感じたような、不気味さを感じた。

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