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日記ではなくnoteに記す理由


今までは、書きたいことがある時だけ書く日記に、気持ちを吐き出していた。

日記ではなく、人に見られるこのnoteに書こうと思った理由は2つある。

1つは自分だけが見る日記だと、書いてるうちに思いの外、話が深まりすぎて余計つらくなってくるからである。

セルフ精神分析みたいになってしまう。

鬱がひどくない時には、気持ちを吐き出せる大事なツールのひとつだが、

鬱がひどくなると、どうしても過去の感情や体験に話が深まりすぎて、

どうしてこうなってしまったんだろう、私が何をしたっていうんだろう、
この人生は救われずに終わるだろう、

死ぬしかないと、

いつもそこにたどり着いてしまう。

その結末を何度も再確認してしまうことで、余計鬱がひどくなってしまう。

でも、もしそれが人に見られるという前提で書く文章ならば、

本心と、それを書く葛藤の間に生まれた、今の私にとってちょうどよい深さで、気持ちを吐き出せると思った。


2つめの理由は、

私のこの人生を、文章に昇華させたかった。

どんな子供時代だったのか、ほぼ誰にも知られることなく普通を取り繕ってきた私の人生を、

期待しては裏切られ、何度傷つけられても、普通の母親を求めた続けた私の人生を、

それでも自分を捨てられず、死ねなかった私の人生を、

昇華してあげたい。

昇華せざるを得ない。

私のどこから湧いているのかわからない、このありがた迷惑な生命力は、

より良く生きようという方向を向き始めている。

ここに文章を載せ始めたのは、その証なんだろうと思う。

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