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コミケにおけるトラウマと憤り②

上記より続く


コミケ前夜に着信アリ。
それはまさかの「A」からであった…。


ヴィーン…!ヴィーン…!振動するケータイ電話。
「おいおいおいおい…」
私は心の中でつぶやく。
なぜこのタイミングで…?どういうこと…?何…??????
心拍数が上がる。複雑な思いが一気に頭の中をかけめぐる。混乱しながら着信の理由を想像する。その中には淡い期待も含まれていた。

もしかして「サプライズ」なのか…?
もしかしてAの本は「完成」しているのか…?
私を理不尽に巻き込み、焦らし、直前で「実はできてます」という謎のドッキリなのか…?


話は少し戻るが、前回記したAと3年間連絡がとれなくなった時、私はAに手紙を出した。そこには当時私が住んでいた高円寺の住所を書いていた。3年後、その住所にAは訪ねてきたが私はその3年の間に引っ越していたので結局はAから電話があったのであった。その突然の訪問も彼にとってはサプライズだったのかもしれない。そのサプライズは不発に終わったが実際、高円寺で会えていたところで私は困惑しただろうとは思う。(ちなみに3年間音信不通になった明確な理由は答えてくれなかった)

Aは実家のポストに宛先も差出人も何も書いていない真っ黒の封筒に入った分厚い手紙や「響~小説家になる方法~」の漫画本を勝手に5冊以上直接入れてきたりすることもあった。その度に親は「何これ?」といって私は「何それ?」というやりとりをしなければならない。ここで重要なのはAには全く悪気がないということだ。「良かれ」と思っている。だが、こちらにとっては不気味なだけで全くうれしくないサプライズなのだ。ちゃんと連絡をとって喫茶店なりどこかしらで手紙なり漫画本を渡してくれないだろうかと願うのだ。
なぜなら私達は子どもや持ち家があってもおかしくない
「いい歳をした大人」だからである。

例えば年賀状の宛先に「ザーボンさんへ」と書き、差出人に「フリーザより」と書くような“ノリ”が許されるのは学生までだと思う。もしくは芸人同士であるとか関係性がしっかりある場合のみ許されるのではないか。

「磯野~!野球しようぜ~!」と磯野家にオジサンになった中島がバットをかついでアポなしで訪問したらカツオは困惑し、サザエは心配し、タラちゃんは警察を呼ぶかもしれない。それがAには想像できていない。

Aは社会に出ても社会の常識を学んでいなかった。
ディオが心配するくらい時間が止まったままだった。
スーツを着た野原しんのすけ。


話を戻す。
そんなAだからこそ今回のコミケ前夜の着信もなにかしらの
「こちらが全くうれしくないサプライズ」なのかと思ったのだ。

考えをめぐらすうちに、ケータイの振動が止まる。
こちらから掛けなおすべきかどうか…。

着信理由は3択だと思った。
・本が完成している
・完成できなかったという謝罪
・コミケのことは忘れていてタイミングだけ神がかりの別件の用事
どれかだと思った。他に思い浮かぶ理由がない。

するとまた、ケータイ電話が震えだす。
表示は「A」。
私は正直イラついていた。今さらフザけんなよと思った。
何度も言うが私はガンジーではないから。
だが、電話に出るしかなかった。真実を知るために…。


私「もしもし…?」
A「あっ!卍(作者)さんですか!」


いつものAだ。微塵も後ろめたさや迷いを感じさせない、明るい口調。
この感じだと謝罪ではないのか…?


A「卍さんの家にコミケからの書類って届いてました?」


届いてました?じゃねーだろ!お前が登録したんだろーが!と思った。
なぜ私を代表にしたのか、なぜ連絡が取れなくなったかを問い詰めたかったが私は先に報告をした。
連絡がとれない間にやっとの思いで「メガネ神話」を20部完成させたこと。
それを持って今東京にいること。


A「おぉ!」


Aのテンションは上がったようだった。
これがサプライズだバカ野郎!私の心の中の北野武が叫ぶ。


次にAが発した言葉は私が全く予測できなかったものだ。
そして今回の「コミケサークル代表押しつけ失踪事件」の核心部分である。




A「書類の中に“サークル入場券”って入ってました?」




お分かり頂けただろうか?


ピンときていない読者様にご説明致します。

コミケのニュースなどで大人たちが大行列を作っている映像を見たことがある人は多いと思います。現在、徹夜は禁止されているのでコミケを愛する人たちほど定時にルールを守ってきちんと列を作ります。
それはお目当ての本やグッズを手に入れるためです。ほとんどの方が滅びればいいと思っている転売ヤーでさえ寒空の下、列に並びます。

サークル入場券とはその名の通り、「本を売る側」の入場券です。
当たり前ですが「売る側」は「買う側」より先に入場し準備をします。
設営が完了した後、買う側の入場が始まります。

ここで重要なのが、サークル側は一般の入場者が来る前のスキマ時間に
他のサークルの本を“買うことができる”のです。
(現在その仕組みが変わったかどうかは分かりませんが、その時は買えました)



Aが「サークル入場券入ってました?」
と発した瞬間に、私は全てを察した。

Aは本を完成させていないこと。この電話は謝罪ではないこと。
同人誌を買うための最強のチートアイテム「サークル入場券」を得るためだけの電話だということ。Aは転売ヤーより上を行く邪悪なクソ行為のために私の名前と住所を使ったのだ。

実際は分からない。最初は描こうとしていたのかもしれない。どうしても描けなくて、せめてもの思い出作りに会場に行くために電話してきたのかもしれない。
いや、そんな雰囲気は1ミリも感じなかった。確信犯(故意犯)だろう。

憤りと虚無感。Aはただのクソ野郎だった。
自己中心の極み。
違法行為の責任を押しつけるために私を代表者にしたのか?
なんで平気な顔で電話がかけられる?罪悪感はないのか?
図太すぎる。傲慢すぎる。
コミケに謝れ。
コミックマーケットに土下座しろ。

だが、あの頃の私は今では考えられないほど「甘かった」。
人生で出会った人間には意味があると信じていた。
最後は笑って語らえるような意味を無理にでも作ろうとしていた。

だからAにチャンスを与えた。

私「明日、イラスト、ラクガキ1枚でもいいから持ってきてくれ」

できるはずだ。この条件でできないわけがない。
漫画ではなく1枚のイラスト、ラクガキなら5分あればできる。
3歳児にもできる。象でも描ける。
私も創った。
Aにだってできるはずだ。
Aは仕事を一度辞めた後、イラスト系の専門学校に行っていたはずだ。
何かしら学んだんだろ?
そうだよ、プリキュアを描けばいいじゃないか。
そのなんとかっていうAの好きなキャラを自由に。
1ミリでも誠意があれば。心で描ける。

私の「メガネ神話」の横にAが描いた絵を並べるのだ。
それを販売する。売れる必要はない。
せめてAも私と一緒に笑われ、恥をかかなくてはならない。
それが私達が今できる唯一のコミケへの土下座だ。
そしたら貴様を裁かない。示談で終えてやる。
お前が始めた物語、責任をとるんだ。人として。

「友」とは「共」なのだから。
Aが私を友人と呼ぶなら「共有」しなければならない。
同じ苦しみ、悲しみ、その先にある喜び、
共有が思い出を作り絆を育む。
いや、もう友達とかそんなんどうでもいい!
なんでもいいから描け!おばあちゃんの似顔絵でもいい!
う●この絵でもいい!絵じゃなくてもいい!数式とかでもいい!
もう紙じゃなくてもいい!キットカットとかでもいいから!
とにかく何か持ってこい!いい加減描け!逃げるな!描け!
描け!頼むから描いてくれ!自分は人間だと証明してくれ!



最後の願いだった。
これがダメだったら一生しないという最後の期待。

「頼むから1枚持ってきてくれ」
という私の祈りにAは返事をした。




A「はいっ!」



それはもう一点の曇りもない快晴の青空の元で行われる運動会のような
元気で大きな返事だったことを記憶している。


          つづく

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