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仕事の属人化の功罪

この記事で言いたいこと:

①世間では仕事(業務)の属人化はよくないと言われるけど、担当者レベルの相性次第かつ短期的な視点では悪いことばかりじゃないよ、ということ。

②でもやっぱり長期的に見たらガタが来るから解決した方がいいよ、ということ(結局辞めました)。

以上の2点となります。それでは、退職に至るまでの経緯をつらつらと書いていきたいと思います。

新卒で入った会社(4年目)を退職しました

新卒で入って3年と10か月近く勤めた会社を退職し、転職することになった。入った会社というのが、ベンチャーといいつつも実質は中小企業、といったところである。おそらく、この記事を読んでいる方の中にも、自分の会社もそんな感じだ、と思う方がいるだろう。

新卒・中途問わず、入った人間は3~4年で別のところを見つけて辞めていく。そんな職場だった。そうした会社のあるあるとして、自分の担当する業務範囲がかなり属人化しており、現在は引継ぎ作業に追われている。

業務の属人化について

仕事・タスクの属人化はベンチャー・中小の宿痾と言ってもいい。メンバーが少ないので、各々がタスクを粛々と片付けざるを得ず、他人の余裕を気にしている余裕がないので、他のメンバーがやっている仕事の内容が分からない、ということになる。マニュアルを作ろうにもリソースが足りないか、あるいは運用が定まり切らないのでマニュアルを作る意義が薄れ(作ったところで読む人がいない、という事情もある)、断片的な資料から引き継ぎが成されることになる。もし、比較的まとまった量の文書が引継ぎされたのなら、そうしたケースは幸いである。

業務をゼロイチで作っていくのはかなりの体力と意志がいる。ゼロをイチに、一を十にしていく過程で、やることも判断基準もその時々で変わっていく。初めからその業務に携わっている初期メンバーが、主体性を持ってそうした変更を施しているのであれば、それはその本人がそれを回していけばいい話である。

ここで、手が足りないので人を増やす、という話になると、勝手が違ってくる。かなりの確率で、そうした段階で採用する人間は、初期メンバーの手足となって働く人間、さらに言えば下働きといった属性になる。

ここで、増やしたメンバーに主体性がなく、降ってくる仕事をこなすタイプだと悲惨なことになる。その人物は事業の変遷にしたがって変わっていく業務フローや判断基準に振り回され(これは指導する側の能力や適性の問題でもある。優れたプレイヤーが優れた指導者とは限らない)、マニュアルも整備されていないので判断に時間がかかり、やがて疲弊してロクに引継ぎ資料も残せないまま去っていくだろう。

それ故、ベンチャー・中小というものは多くの場合、そうしたポジションに新しく人を据える時はある程度主体性が期待される人物を入れることを望む。

タスクの属人化は事業買収から

私の場合は、完全にゼロイチで業務を作ったというわけではなかったのだが、如何せん業務を引き継いだ環境がまぁまぁ特殊だった(ように思う)。新卒2年目のこと、会社が別の会社からとあるITサービスを事業買収する中で、その運用の引継ぎメンバーとして私がアサインされたのが全ての始まりである。

そのサービスというのは既に4~5年近く運用実績があり、それなりの歴史があるものだったのだが、会社は当時、運用の引継ぎメンバーを私のみにして事業買収を進める決定をした。これには私はもちろん、事業を買収される側の会社も、「新卒2年目のチンチクリン1人しか寄越さないけど大丈夫なのかこの会社」となったのだが、書類手続き上は着々と買収が進むのだから引継ぎ作業を進めるほかない。

元々、運営元の別会社では顧客対応なども含めた運用周りの作業人員が2~3名、エンジニアが1名、営業が2名で回していたサービスである。営業周りは、元々その会社で営業をやっていた方が、買収されるサービスと共にウチの会社を移る形で実質的な引継ぎを行った。だが、その人も運用の細部まで把握していたわけではない。そのため、私が運用周りを半ば出向のような形で包括的に引き継ぐことになった。

手続き上の兼ね合いから、引継ぎの期間は約3か月。幸いにも、前にその業務担当だった方がいらっしゃり、仲良くしていただいたので、人間関係的な辛さはなかった。手を動かす部分は3か月で何とか支障の出ない範囲で引き継ぐことは出来たものの、時間的な制約と私がそもそもエンジニアでも何でもなかったことから、サービスにおけるエンジニアリングの範囲がすっぽりと抜けてしまった。それでも事業承継が形の上ではどうにかなってしまったのは、サービスの開発やサーバの運用保守そのものは海外の会社がやっていたからだ。

こうして、3か月が経ち、事業と共に移ることになった営業の方と運用周りの私の計2名で、「社運を賭けた新規事業サービス」が幕を開けた。その後、そのサービスのチーム体制の増強という名目で何人かのメンバーが追加でアサインされたものの、私の業務範囲に関するノウハウの共有といった話がされることはなかった。


属人化した体制は良くも悪くも担当者に”自信”を与える

正直に言ってしまうと、属人化した体制は私にとっては悪いことばかりではなかった。メリット、と言えなくもない。冒頭で挙げた「担当者レベルの相性次第かつ短期的な視点では悪いことばかりじゃないよ」というものである。それは何かと言うと、その業務を自分しか知らない、という状態による一種の優越感、自信である。

この自信というものは、新卒1年目の時期にさほど自信を持てずに仕事をし続けていた私の気分を上向かせた。これにより、仕事だけでなく私生活の面でも、より積極的に動けるようになった。この変化で一番大きかったのは、学生時代には全く縁のなかった恋愛に足を踏み入れることが出来るようになったことだと個人的には考えている。

恋愛に使ったのは主にマッチングアプリだったが、これも仕事のやり方に多少なりとも影響を与えたと思う。例えば、「メッセージからアポへ連れ出す」といった目標の設定、目標にこぎつけるためのメッセージの打ち方、セルフプロデュースの仕方、店や回るルートの段取り、拒絶されても必要以上に落ち込まないメンタルといったものだ。恋愛をまともにしていない人間は仕事の仕方が分かっていない人間だ、という言説を就活生時代に初めて聞いた時には、なんと馬鹿々々しい言説だろうと思ったものだが、この言葉はある種、真理だと今では思う。

だが、「自信」というものは「傲慢さ」とも言い換えられる。自分の担当していた業務範囲は、サービスの基本的な仕様に関する部分でもあり、そうした点に関する知識を他のメンバーが取り入れようとする体制になっていなかったことから、知識の格差が広がるばかりであった。1年、2年と経つうちに、基本的な仕様等について質問をされた時に、自然と「この段階でこのレベルのことを聞いてくるのか?」と思うようになってしまった。

こうなってくると段々と、自分が割を食っているように感じてしまうようになった。これは一種の被害者意識であり、そんなものを抱いても仕方がない、と頭の中では理解していた。だが、最初の業務引き継ぎの時点で明らかに足りていないであろう戦力の投入の仕方や、その結果として顧客に約束していたサービスの拡充が思うように進まなかったこと、事業承継が完了した後にその事業のトップとして運用周りにコメントを下す社長の言動(書類の書き換えが終わったら大人しく尻尾振って言うこと聞けってか? くらいには思っていた)などが積み重なり、経営陣に対する私の心証は最悪なものとなっていった。

個人の自信だけでは属人化は乗り切れない

属人化した体制で3年近くやっていく中で、色々なことがあった。私がインフルに罹ったことで運用周りが1週間近くまともに回らなくなったこと。明らかにキャパとして足りないであろう大型案件が発生しそうになったことが数回(全部失注していたが)。こうした流れから、同じ部署のメンバーの一部や他部署の方からは、ノウハウの共有化や負担の軽減といった面から、他のメンバーをアサインしてはどうか、という声が上がったものの、経営陣はそこに対する優先順位を上げることはなかった。

私としては、経営陣の考えていることは分からないでもなかった。運用周りのメンバーを1人から2人にするということは、単純に人件費が倍以上になるということである。かといって、すぐにサービスの契約数が倍に増えるわけでもない。新規導入への対応には運用周りの人手が必要になるが、年がら年中、新規導入があるわけでもなく、案件の増え方は季節によって集中するため、人を常時張り付けておくのはリソース配分として微妙と思われる。

そうなると、案件が急激に増えた際は、単純に2倍働いてね、という話になるか、他のメンバーを即席でアサインするかのどちらかになる。事業が承継されてから初めのうちは、そんな話題が出るたびに実際そうなったら嫌だがそうせざるを得ないだろうな、くらいに思っていた。だが、今年になって大型の案件がいつかと同じように浮上してきた際、社長が冗談交じりな口調で「もし受注出来たら皆で設定しなくちゃいけないね」というのを聞いて、「なに急に仲間意識を勃起させてんだ気持ち悪い」と考えてしまった。

この瞬間、自分の関わっている業務のありとあらゆる部分がどうでもよく思えるようになった。自分しかその業務を知らず、業務内容は高級雑用とも言える性質のものである上に、アルバイトの人間に振るタスクを考えなければならない以上、有給の使用も意味があるものになるとは到底思えなかった。

その日の夜、私はこれまで眺めるだけだった転職サイトに登録し、やがて次の職場を見つけることとなった。

反省点

私にも反省するべきポイントはあった。有り物のリソースで何とかしようとしてしまったこと、それに付随して他人に、他部署に力を借りる、ということを積極的にしてこなかったことだ。

他部署のリソースを借りる以上、その部署のマネージャーに話を通さなければならない。私は、その人が要望を聞いてくれる人であるとは知っていたものの、善意を搾取するようで申し訳なく、全く気が進まなかった。だが、申し訳ないという気持ちそのものはただの主観である。私がここでするべきだったことは、申し訳無いと思うよりもまず、全体として何をするべきか、何が出来るか、を第一に考えることだったのでは、と今では思う(それで正論を通されるとイラっとするのが人間というものだが)。次の職場では、その辺は上手くやりたいと思う。

あと残った有給を消化するヒマが全くなさそうなのも反省点だ。このままだと20日くらい残して辞めることになりそうな予感がする。この辺はスケジュール調整の下手さ加減が自分に帰ってきてしまった。次に転職する時は上手いことやりたいと思う。

これを読んだ皆様におかれましては、属人化した体制を見直すきっかけになったり、心の慰めになったりすることを願う。それでは。

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