創作における四苦八苦を考える
イラストレーターの風見です。
クリエイターの皆様に聴いてみたいことがあります。
あなたにとって創作は楽しいですか?苦しいですか?
私は楽しいです。自分の頭の中にある世界や物語やモノを、現実世界でなんとか目に見ることのできる形に表現していく行為が小さい頃から好きでした。
どうやって表現しようかとアイデアを考えている時、只々完成を目指して手を動かすことだけに集中している時、出来上がったものに満足できた時、誰かに喜んでもらえた時などに楽しさや嬉しさを感じたりと、創作はポジティブな感情を生み出してくれる活動であることを知っています。
ですが、創作が本当に楽しいだけかと問われると、むしろ苦しい時のほうが多かったようなと、ふと気付きました。
今も昔も何かを創るときは悩みますし、思うようにいかない時には苦しみを感じます。表現しきれない自身の力不足を嘆き、理想に近づきたいと足掻き、思うようにいかないほうが圧倒的に多い中で、苦を感じながらも創らずにはいられない。
苦しいならやめればいいじゃないか、と言われるかもしれませんが、創らないほうがはるかに苦しい。やはり本質的には創ることが好きなようです。それがただの自己満足だとしても。
創作の苦しさについて肌で感じながら頭の片隅で漠然と考えていた時、とあるきっかけで仏教の教えに触れました。
そのきっかけは「家族の死」
身近な大切な人との別れを経験し、これは本当に現実なのかという驚きや悲しみや寂しさといった色々な感情が絡み合った、創作の苦しみとは別の苦しみを突きつけられていた時、仏教で説かれている「一切皆苦(いっさいかいく)」=「人生は全てが苦である」 という真理が、スッと自分事として腹落ちしました。
仏教で説かれる「苦」は、人生は思い通りにならないという意味で、具体的に「四苦八苦」が挙げられています。
四苦=「生」「老」「病」「死」
八苦=「愛別離苦(あいべつりく)」「怨憎会苦(おんぞうえく)」「求不得苦(ぐふとっく)」「五蘊盛苦(ごうんじょうく)」
「四苦八苦する」という言葉は聞いたことがあったものの、改めてその内容を見てみると、確かにこれらの苦しみは人間として生きる上で逃れることの出来ないものだと感じました。(仏教の四苦八苦を詳しく知りたい方は検索してみてください)
一切皆苦を学んだ時、ふと自分の頭の片隅にいる創作の苦しみにも似ているところがあるなと感じたのがこの創作における四苦八苦を考え始めたきっかけでした。
創作をしていると心が折れそうになる瞬間があります。
もうやめようかと投げ出したくなる時もあります。
誰も見ていないし、誰に影響を与えるわけでもない。
なんでこんなものを創っているのだろう、何か意味があるのだろうかと自問自答のループにはまってしまう時もあります。
自分で満足できれば十分じゃないかと心に言い聞かせても、心が満足だとは言ってくれない。そういうときは楽しいはずの創作が苦しいのです。
仏教では苦しむ原因を見極めて、苦しみの原因を取り除き、安らかに生きるための方法が説かれています。
ならば創作における苦しみの原因も知ることができれば、途中で心や筆を折ることなく、長いスランプにも陥ることなく、長く創り続けることができるのではないかと思い、まずは自分なりにまとめてみることにしました。
では創作のどんなところに苦しみがあるのだろう?
自分が創作をしていて苦しいと感じる瞬間を書き出し、身近なクリエイターに創作が苦しいと感じる瞬間を聴いてまわったところ、いろいろな共通点があることに気付きました。共通点を個人的にまとめたものが下記になります。
創作における四苦八苦 (風見緑哉案)
<四苦>
「生」 |創作物や表現を生む苦しみ
そもそも無から有を創り出すという行為自体が難しく苦しさを伴うものなのかもしれません。
「続」 |創り続ける苦しみ
生み出したものを完成させるためには、様々な過程を経る必要があります。その過程が多く長く困難であればあるほど創り続けることに苦しさを感じます。
また、途中でアイデアが枯渇したり、モノや時期によっては生み出すことにハードルがあったりと人生の中で作品を創り続けること自体が大変なことだと思います。
「終」 |創作物を終わらせる苦しみ
どこを創作の終わりとするかは人によって異なると思いますが、「完成」させるのは想像以上に難しいものです。有名であったり愛着のある作品であればあるほど、どこでどのように終わらせるかを考えるのに苦しむのではないでしょうか。
「締」 |締切
締切に追われたことのある人であれば、締切の苦しさを知っていると思います。
しかし締切があるからこそ終わらせたり区切りをつけることができるという、創作には欠かすことのできない要素です。
<八苦>
「技環不苦」 |思うように創れない、環境・道具がない苦しみ
技術が足りず思い通りに創れない、練習してもなかなか上達しないといった創作をする上で必要な技術に不足を感じるときに苦しみを感じます。
また、創りたいにも関わらず必要な環境(時間を含む)や道具がないときにも苦しみを感じます。
「迷走恥苦」 |創作が分からなくなる、恥ずかしい苦しみ
最初は意気揚々と創りはじめたのに、途中で何が創りたかったのか分からなくなったり、迷走してしまって先に進めなくなったときに苦しみを感じます。
自分の創作物を後から見返して恥ずかしくなった経験はありませんか?他者から見れば気にならない作品でも、作者的にはなぜこんなものを作ったのだろう、こうすればよかったという恥ずかしさや後悔が苦しみを生んでいます。
「嫌作独苦」 |嫌・苦手でも創らねばならない苦しみ / 独創の苦しみと共創の苦しみ
お仕事として作品をつくる場合は、嫌とか苦手とか文句は言っていられません。
途中で飽きてしまったり、苦手な工程があったり、壁にぶつかっても創り続けなければならない時には苦しみを感じます。また、全て独りで創るときと、他者と一緒に創る時ではそれぞれ違う苦労があります。
「評価比較苦」 |他者から評価される、評価されない苦しみ、他者と比較する苦しみ
創作物を他者の目に触れるところに出すと少なからず評価がつきまといます。全く評価されないということも評価の一種。評価されてもされなくても、どちらも違う苦しみが生まれます。評価は創作のモチベーションになることも多いですが、逆に心や筆を折るきっかけになってしまうことも少なくないのです。
また、他者の創作物や評価を見て自身と比べてしまうときにも苦しみを感じます。
こうして分類してみると、創作の四苦八苦の中にも大きく分けて、自身の内側から出てくる内側の苦しみと、外部からの影響を受ける外側の苦しみがあるというのも気付きました。
世界にいるクリエイターの数だけそれぞれの創作の苦しみがあると思います。
ここにあてはまらない苦しみを抱えながら創作している人もいるかもしれません。
もっと分かりやすいまとめ方もありそうなので、色々なクリエイターの意見を聴きながら創作の苦について今後も考えていきたいと思います。
共感してくださる方がいましたらぜひコメントなどでご意見をお寄せください。
繰り返しになりますが、この創作の四苦八苦を考える目的は、創作は苦しいものだと言うためではありません。
創作の苦を知ることで、「ああ、いま自分はこの苦しさを感じているな」と頭で認識し、自分だけが創作の苦しさを抱えているわけではないし、創作の苦しさを感じることは当たり前であると知ることで、途中で心や筆を折ることなく、創作を長く続けていくことを目的としています。
苦しいからこそ、完成した時や心から満足できたときに大きな喜びや達成感があるのも事実です。だからこそ創作はやめられないのかもしれません。
まだ私は創作の苦を解決できる悟りには至っていませんが(笑)創り続けることで何かが分かる日も来るかもしれませんね。
ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございました。ご縁に感謝を。
さて、今日も前を向いて創っていきましょう!
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