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学校は社会の変化に合わせて教育をおこなう場所なの?:学校と「小さな経済圏」との親和性①

前回は、「教育×クリプトークンエコノミー」というテーマで、これからどんなことを考えていきたいかということについて、教育の視点から、特に学校教育の視点からいろいろと考えていきたいなぁと書きました。

教育・学校教育の視点から「教育×クリプトークンエコノミー」について考えるためには、まず、教育や学校とはどういう存在なのか?ということについて考えておく必要があるかなぁと思います。

「教育」や「学校」というテーマは、ほとんどの人たちがなんらかの「原体験」をもっています。

自分がこれまでに経験してきた「教育」のイメージを基に、たくさんの人々がそれぞれの立場から意見表明をしやすいテーマなので、「教育」について議論しようとすると、つい議論が拡散しがちです。

みんながそれぞれに経験しているテーマだからこそ、「これは常識だよね?」と思っている(思い込んでいる)トピックが多いけれど、意外とそれは、「どこで、いつ、どんな人から、どんな教育を受けたか」によって異なっていることが多く、実は共通認識が作りづらい…ということがたびたび起こります。

もちろん、議論が拡散していくことは悪いことではありませんし、多様な議論ができることこそ、それだけのポテンシャルを教育というテーマが持っていることを示しているのだと感じます。

「教育」や「学校」の議論をめぐるこうした特徴を踏まえたうえで、僕の記事では「教育学」を学ぶ人としての立場から、「教育」や「学校」をどういうものとして捉えているか、そこから「クリプトークンエコノミー」の持つ可能性がどのように見えてくるのかというところに話を進めていきたいと思います。

まず今回は、「学校」と「社会」との関係性をどう見るかというところから、「学校」が本来果たすべき役割というところまで、話を進めていきます。

本当は、もっと話を進めて、「学校」という場所の本来的な役割というところから、「小さな経済圏」の構築を目指す「クリプトークンエコノミー」の可能性というところまで行きたいなと思っていたのですが、これから少しずつ、いくつかの記事を通してそうしたトピックへと辿り着いていきたいなぁと考えています。

(ちなみに、「クリプトークンエコノミー(Cryptoken Economy)」という言葉を当たり前のように使っていますが、これはハッカー&ラッパーの億ラビットくんさんが生み出した言葉です。詳細は前回の記事をご覧ください)

Ask me my three main priorities for government, and I tell you: education, education and education.
Our top priority was, is and always will be education, education, education.

イギリスの首相だったトニー・ブレアさんが政策の重要課題として「education」を前面に押し出していたことは有名な話ですが、イギリスに限らず、世界各国で教育は、たとえ時代が変わったとしても、常に重要な政策課題としてあり続けています。

また、経済界においても、教育は「人材養成」の側面から関心の高い分野のひとつであり、経済団体が様々な提言を出したり、学校に多額の資金を寄付するなど、多様なアプローチがおこなわれています。

社会のなかに存在するさまざまな問題を解決するために、社会を支える人間を育てる「教育」が注目され、「学校教育」のありかたが常に模索されるというのは、日本も含め、世界中で展開されている動きなのだと思います。

そのために、学校教育には、その時々の社会の変化に応じる形で多様な「教育」が持ち込まれます。

たとえば現在、日本の小学校教育は大きな変化の時期を迎えています。

2018年4月から「特別の教科 道徳」が開設されて道徳の教科化がスタート、2020年4月からは英語の教科化外国語活動の低学年化、そしてプログラミング教育の必修化などが始まる予定になっています。

こうした教育内容の変化は、現在の日本社会が抱えているさまざまな課題を解決するために生じたものだと見ることができます。

ただ、広大な範囲で急激かつ多様に展開される社会の変化に対して、学校教育は十分に対応できるのでしょうか?

たとえば、YouTubeで少し話題になった「Did you know?」という動画があります。この3.0バージョンには、以下のような描写が出てきます。

The amount of new technical information is doubling every 2 years.
For students starting a 4 year technical degree this means that... half of what they learn in their first year of study will be outdated by their third year of study.

社会で生み出される知識や技術の発展スピードに、学校教育がついていけないという現実を象徴的に示す「事実」だろうと思います。

そうしたスピードに少しでもついていくために、教育の変化もまた目まぐるしくなっています。

しかし、十分な教育を実現するための人手も時間も足りないという環境のなかで、その対応は不十分なものにならざるを得ないところがあり、 そのことが「教育への不信感」や「学校教育不要論」を生み出すことにつながっている要因でもあるのかもしれません。

ただ、こうした「学校の社会化」ともいえるような状況は、学校教育が果たすべき機能から見れば一片の事実ではありますが、それはあくまで「一片の」事実でしかありません。

上に挙げたような、社会の変化が教育を規定していくような働きのことを、教育社会学の用語で「教育の社会的条件(social condition)」といいます。

それに対して、教育には社会へと働きかけていくような機能もあり、これを「教育の社会的機能(social function)」といいます。

そのほかにも、教育の中に構成される社会的な働きのことを「教育の社会的構造(social structure)」というようなものもありますが、ここからは学校教育と社会との関係性には、学校が社会の動きをキャッチアップするだけではない多様な働きがありうるという、その可能性をうかがい知ることができます。

たとえば、京都大学は現在の総長として山極壽一さんが就任してから、京都大学が目指すべき方向性として「WINDOW構想」というものを掲げています。

こうした構想を打ち出した理由について、山極さんは以下のように説明しています。

大学を社会や世界に開く窓として位置づけ、有能な学生や若い研究者の能力を高め、それぞれの活躍の場へと送り出す役割を大学全体の共通のミッションとして位置づけたいと思ったからです。

大学を社会や世界に開く窓として位置づけ…それぞれの活躍の場へと送り出す」という部分だけを見れば、今の社会に役立つ人材を学校で教育する、という一般的な考え方のように見えてしまいますが、これはそうではありません。

この説明の仕方で大切なのは、「大学を」社会や世界に開く窓として位置づけるという、その方向性だと思います。

山極さんは、「大学の存在意義」として、以下のようなメッセージを発信しています。

世間から少し離れて、自由に議論が出来る場。その発想が次の社会を、そして世界を創る

大学が「世間から少し離れ」た場であり、「次の社会を、そして世界を創る」場である。

つまり、京都大学が「窓」を開いて見据えているのは、「今の社会」ではなくて「次の」社会であること。

そして、そうした「次の」社会を創っていく人を育てるために、「今の社会」から少し距離を置くことが必要だと考えていること、がわかります。

(ちなみに、この説明のなかで、「世間」と「社会」が区別されていたり、大学を世間から「少し」離れた場であると説明されていることも絶妙だなぁと感じるのですが、それについてはまた改めて何か書けたらと思います。)

京都大学が示しているような社会と教育との距離感、社会と教育との関係性は、一般的に流通している「学校は社会の変化に合わせて教育をおこなう場所」というイメージとは少し違う、方向性としては正反対のイメージで教育や学校の役割を捉えているものだといえます。

でも、こうしたスタンスは「京都大学だから言えることでしょ?」と思う向きも、 もしかしたらあるかもしれません。

ただ、教育や学校が本来的に果たすべき役割を考えると、僕はこうした距離感や関係性は、大学一般、もしくは小学校なども含めた学校一般においても、あるべき立場なのではないのかな?と思っています。

それはいったい、どういうことなのか?
それが「クリプトークンエコノミー」ということに、どうやってつながるのか?

ここまでの話を踏まえて、次回はもう少し、「教育×クリプトークンエコノミー」という話に近づいていきたいと思います。