人間失格
「……ふーむ、成る程ねぇ……」
送付した履歴書を見ながら、対面の面接官が声を漏らす。
志望先の福祉法人の理事長という大きな肩書きを持つこの人は、丸い禿頭をポリポリと搔くと、顔を上げて僕の方を見つめた。
「タクミくん……だったね。君は……履歴書を見る限りだと、とても優秀な方だと私は思う。成績や進学校は申し分ないし、聡明で謙虚なのは姿勢からも見て取れる」
「ありがとうございます」
僕はニコリと笑みを浮かべて、軽く頭を下げる。よかった。少なくとも悪い印象は持っていないようで安心した。
「ただ……ねぇ」
そこで言葉を濁した面接官は、言いにくそうに左右にいる二人に目を向ける。二人の面接官も考えてる事は同じなのか、似たような表情をしていた。
「君の語る夢や目標って言うのは……僕には少し、薄いものだと感じてしまうよ」
「……どういう事でしょうか?」
怪訝に思いながら尋ねると、面接官の方は言葉を濁しながら答えていく。
「いや、私は君の事を貶そうとは思っていないんだ。けどね、履歴書に書かれている事と、君の語る言葉に……温度差、というのかな。どうしても熱がないように感じてしまう」
「……失礼ですが、それは一体、どう言った……」
「何と言えばいいのか……君の言う目標や理念は模範的な答え。百人が聞いたら100人とも納得しそうなもので、個人的に自分がこうありたいと強く思うものではないと思うんだよ私は。つかぬ事を聞くが……君は、これまでに何か夢や目標、自分がこうなりたいと思うようなイメージを持った事はあるかな?」
「……それは……」
まただ。
またこの質問だ。
頭が真っ白になる。口の中が乾いて、何か言おうにも言葉が出てこない。
「……その様子だと、やはり君にはそう言った物を持った事がないみたいだね」
「いえ、違います! ただ、私は……」
「そうは言ってもねぇ、答えられなかった事は確かだったし」
苦笑しながら面接官が言う。
駄目だ。このままでは確実に落ちる。
早く、早く何か言わなければ……
「……わ、私は……」
「うん、まぁ、無理に言わなくても大丈夫だから」
終わった。
この後出てくる言葉が予想できる。きっと、その場で即面接を終をされて、次の所で頑張って下さいと、他人事のように言うのだろう。
「以上で面接を終了します。結果は一週間後にお伝えし増します。お疲れさまでした」
そして、その予想は殆どその通りとなって僕の耳に冷たく届いた。
◆
僕には夢がない。
進藤匠として生まれたこの23年間、夢というものを持ったことがない。
物心ついた頃から、特にやりたい事も、興味がある物にも出会う事がなかった僕には、本を読む事しか楽しい事がなかった。
けれど、両親にはそれで都合が良かったらしい。小学2年の頃から僕は学習塾に通うようになった。
そこからはずっと、勉強していた記憶しかない。
先生に言われた通りに、予習も復習もやって、テストではいつも満点。それは中学、高校と進学しても変わる事はなかった。
夢がなくても勉強が出来ていればそれで良かった。
実際、両親は頭のいい僕の事を褒めてくれたし、県内でも有数の進学校への入学が決まった時は泣いて喜んでくれた。
「頭が良ければ上手くいく」と、僕は両親に教えられて生きて来た。多分、この先もずっと変わることのないくらいがっちりと固まった価値観だと思う。
それでも、夢がなく、これといった特技も資格もない僕を流石に心配したのだろう。大学は安定した資格が取れるところを提案した。なんの疑いもなく、その大学へ進学した。
軽い気持ちで入学し、様々な事を学んだ。座学はいつも真面目に受けていたし、友達も何人かできた。家が近いという理由で始めた喫茶店のアルバイトも、持ち前の真面目さでお客さんや店長からの信頼も得た。実習だって、最初はぎこちなかったけど、それなりに上手く出来たと思ってる。
けれど、相変わらず興味を惹かれるものに出会うことはなかった。色んなことを経験したはずなのに、その全てがピンとくることはなかった。
◆
「はぁ……」
もうすっかり日が沈んだ公園。
その片隅のベンチで、僕は溜め息を吐く。
「また失敗か……母さん達になんて言えば……」
一体、何度この言葉を呟いたのだろう?
ここまで親を失望させて、お金まで負担してもらっているのに、一向に就職できる気配がない。
実際、僕が不合格したと報告しても、二人とも最近は何も言わなくなってきている。既に失望を通り越して悟りすら開きかけてきていた両親にこれ以上ハラハラさせるような真似はさせたくないというのに、僕はそれすらも出来ていなかった。
抱えたままの焦燥感が大きくなるばかりで、状況は一向に良くならない。
焦燥感や焦りはどんどん募っていく。
それがまた就活の足を引っ張って、面接で失敗してしまう。
正しく負のスパイラルに嵌ってしまった僕の精神状態は勿論いいものなんかじゃなかった。
常にイライラしてばかりで、余裕なんてあるはずもない。頭にあるのはッ就活の事ばかり。このままいけば僕はノイローゼを起こしてしまいそうだった。
そんな状態が2か月続いた今日であったが、今日もやはりダメだった。
「……また答えられなかったな……本当に早く就職先を見つけないと……これ以上母さんや父さんに迷惑かけられない……」
もう何度目かになるかも分からない面接の失敗を強く感じながら帰途についていた時であった。
「……あれ、この曲は……」
耳に入ってきたのは、僕の好きな曲だった。爽やかなピアノの旋律に乗って流れるトランペットのリズミカルな音が、僕の耳に心地よく入っていく。
「……もしかして……」
気づいた僕はあたりを見渡す。
今までの就職活動は大体昼に面接をすることが多かったが、今日は久しぶりの夕方だ。
もしかするとこの音楽を流しているのは……
「……やっぱりか」
幸運にも、音を流していたものの正体はすぐに分かった。
向かいのベンチ、その一角にたむろする服装も髪色も派手な集団。
願わくば予想が外れていたらよかったなと少なからず思ってしまったが、予想というのは裏切らないらしい。
僕は再び眉を顰める。
彼らはいつもこんなことをしているのだろうか。だとすれば余程の暇人なのだろう。折角時間があるのだからもっと有益なことをすればいいのに。
そう思い、すり抜けるように公園から離れようとしたその時。
「うぉー! 今のバースマジやべー!」
「……はっ?」
髪型服装派手派手集団の中から上がったひと際大きな歓声。その聞き覚えのあるアホというか馬鹿みたいな声に、僕は一瞬立ち止まった。
「……ん? あっ! タクミじゃねーか! おーい!」
どうやら知り合いの馬鹿が僕のことを目ざとく見つけたらしい。子どもみたいに無邪気に手を振ってこっちに駆けてくるのが見える。
とっさに他人のふりをしようと顔をそむけはしたが、それも空振りに終わったらしい。
———気づいたならそのままスルーしろ馬鹿。僕は今、お前に関わり合いたくないんだよ空気読め。
「珍しいじゃん! お前がここ通るなんてさ! なに? 今日就活してきたの?」
当然というかなんというか、そんな僕の願いと必死の懇願なんか馬鹿には届くはずもなく、固まったままの僕の肩をがっしと組んでデリカシーなくそう質問してきた。
「……おい、なんでお前がここにいるんだよ。お前の家ここじゃなかっただろうが」
僕は顔を顰めつつ、行男の身体ごとその集団から逸らして尋ねる
「遠出してきた! 今日は週に一回の楽しみだからな!」
「だったら僕なんかと関わらずに楽しめばいいだろ……なんだってあんな馬鹿でかい声で僕を呼んでんだよ……行男」
僕の肩を組んだ馬鹿の名前を呟き、さっきまで奴が一緒にいた集団の方をこっそりと指さす。指さした集団は行男と僕の事なんか目もくれず、変わらずに音楽に乗って自分の歌詞を歌っている。
「そりゃ、自分の知り合いが通ったら声かけるだろ? 俺は声かけてほしいと思うし」
「全日本人、および全世界の人間がお前だと思うなよ。少なくとも僕はプライベートの時以外は一人でいたいんだ」
「別にいいじゃん! こうやって会えたのもなにかの縁だろ? 卒業式も終わったからこうやって話すこともなくなるだろうし、固いこと言うなって!」
「だったらライン使えばいいだろ……後電話したりとかさ……」
呆れながら僕はそう言ったが、僕とまだ仲良くしてくれるのかと思うと、内心では少しだけ嬉しかった。
「……んで、なんだってお前はこんな時間にこんなことしてんだよ。というか、これってなんの集まりなの?」
気を取り直して行男に尋ねると、何故か行男は得意げに胸を張った。
「へっへっへっ、よくぞ聞いてくれました!」
「なんで上からなんだよ」
「この俺、尾形行男がやっているもの……それは、サイファーだ!」
「……サイファー?」
聞きなれない言葉が行男の口から飛び出す。
初めて聞く単語だ。まさかとは思うがアラビア語の話じゃないよな?
「説明しよう! サイファーというのは……」
「あっ、いい。後で自分で調べるから」
それじゃ、と足早に帰ろうとする僕の足を、行男が縋りつくように掴んだ。
「待て待て待て! まだ説明が済んでないだろ!」
「お前の説明で理解できる気がしないからな」
実際、大学時代の行男の説明は本当に分かりにくいものであった。
要点は得ないし話も長いしで聞いてるこっちが纏める羽目になることもザラだから自分で調べる方が早い。
「今回は大丈夫だから! ちゃんとばっちり説明できるから!」
だから今回も自分で調べた方が早いと思ったが、必死に僕を止めようとする行男を見て気が変わった。
「……そこまで言うなら、説明してみろよ。そのサイファーってやつを」
「そうこなくっちゃ!」
呆れ気味に促すと、調子を取り戻した行男が説明を始めた。
「説明しよう! サイファーというのは、公園や広場、高架下なんかに集まり、スピーカーの周りに円を作って即興でラップするというものなのだ!」
「ラップ……ねぇ」
僕は懐疑的に呟く。
「ルールは簡単。自由! ただそれだけ! スピーカーやスマホからのビートに合わせてラップするのが基本だけど、やり方は何でもいいし、割り込んでも順番通りにやってもオッケー! 兎に角自由に、自分らしくラップするのがルールだ!」
以上! と得意げに鼻をフンスと鳴らしながら行男は説明を終えた。
「なるほど……要するに、何人かで円になって自由にラップするってことか?」
お前にしては珍しく分かりやすい説明だな、と軽く感心してそういうと、行男はぱぁっと目を輝かせた。
「だろ!? これが結構おもしろくてさぁ! 良いバース思いついたらみんなすごいって言ってくれるんだぜ!?」
普段、こいつの趣味にあまり興味を示さないからか、目を輝かせた行男が必要以上に食いついてくる。まるで遊んでほしい子犬のようだ。
「まぁ確かに承認欲求は満たされるんだろうけど……ホントにラップなんて難しい事、出来んの?」
何回か街中でそういう音楽を聞いたことはあるが、どれも韻をとてもよく踏んでいた。
僕にはとても、行夫とその仲間の方々がそんな高度なこと出来るとは思えない。
「まー、最初はそう思うよな。でもそこんとこ大丈夫! 見ればそんな考えなんか吹き飛ぶからさ!」
自信たっぷりに行夫はそう言ったが、僕にはどうにも信じられない。
懐疑的な目で遠くの集団を見つめていると、僕の袖をクイクイと行夫が引っ張っている。
「……何してんの?」
「いやさ、簡単にサイファーがなんなのかって言うのを教えたんだけどさ、実際に見てもらった方が早いなって」
「はぁっ!?」
いきなり何を言ってんだこいつはとか思ってるうちに、奴は更に集団へ向けて俺の腕を引っ張っていく。
「やめろ! 僕はあの人達と馴れ合う趣味はないんだ!」
「大丈夫だって! 見た目あんな感じだけどみんないい人達ばっかりだからさー!」
「そう言うことじゃない! 僕は今から家に……あぁもう! 話ぐらい聞けぇ!」
そのまま僕は、なす術もなくズルズルと行夫に引っ張られてしまうのであった……
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