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あの日公務員になっていたら今の僕はいない

こんにちは、葬祭の道化師原作のカザバヤシです。
本日の記事はTwitterネーム『PAO115(@PAO1152)』さんの作品『アプリコット(ゲーム)#004』から飾らせてただいております。

本日は『はき違えられている”安定”と”不安定”』について解像度を上げていこうかと思います。
珍しくドストレートなタイトルなので、逆に興味そそるものになった方もいらっしゃるかと思いますが、

まず、タイトルの通りで
僕高校生の頃に地方公務員試験で役所を2か所受けて両方落ちているんです。という暴露から始めさせていただきます。

簡単な志望動機として「ここまで育てていただいた市へのお礼です」だとか「市民のことを考えて云々」なんて美しいことは、約76年に一度観測されるはずのハレー彗星が年に一回見れるようになったとしても言えません。そこまで、市に何かしてもらったわけでもなく、何かしてあげたいわけでもありません。

『公務員って安定らしいから』
これしかなかったんですね。

ですが、今は公務員とはもはや真逆のお仕事を沢山させて頂いており、
若造ですが、何度も絶望と希望の境界を足踏みしたからこそ言える。
過去にいた、公務員志望の安定大好きカザバヤシを全否定してやろうというお話になります。

また、前置きが長くなりましたが本日もよろしくお願いします。


それでは本題です。
まずは結論から言うと
『公務員は安定じゃなかった』ってことです。

一般的に
公務員が安定とされる所以(ゆえん)として
・高卒ですら平均収入は保証
・倒産しない
・休暇が多め
・賞与がしっかり出る
・社会保障がばっちり

なんて夢見がちなお話があります。
正直、額が実際にどうだとか、実は休みがこんなもんだとか、そういう小さな世界のお話ではありません。

公務員以外でもよくあるお話として、
『アルバイトや契約社員』よりも『正社員』が安定。

なんてのもよく聞きますね。
結局は公務員の安定理由に類似するかと思います。

ってことは、
公務員→正社員→アルバイトor派遣
みたいなヒエラルキー的考え方で僕は公務員しかない。
って考えていたんだと思います。

著書『金持ち父さん貧乏父さん』でもよく用いられる
キャッシュフロークワドラントみたいなジョハリの窓で4分割した考えが大事だよってお話もありますが、今回はそれでもありません。

そろそろ、「何が言いたいんだ」という表情になってきた頃かと思いますので、核心に迫ってまいります。

今回の記事では何が安定かなんてのはお話しません。
それはきっと多くの著書で語られていますので、そちらにお任せします。

この記事は、『安定の再定義』です。

過去の僕が、そして多くの方が間違えていたのは
どんな職業が安定か・どの形態が安定か

じゃなかったんです。
本当に間違えていたのは

『安定』そのものの定義です。
そこから正していけたらと思います。
早速、言ってしまおうと思いますが、中には耳の痛い話で塞ぎこんでしまうかと思いますが、目をそらさず向き合いましょう。そして、過去のカザバヤシをディスってやりましょう。高収入、休暇豊富、賞与豊富じゃなかったんですね。

安定とは…
自分の能力が高まること。

この一点のみです。ほかに安定は存在しません。
どんなに給与が高かろう士業や医者、休暇や賞与、信頼が豊富な公務員。
いいや、違いました。
『自分の能力が高まること』。たったこれだけです。

個人として優れていれば、固定の会社に依存することもなくどこでも数字は出せます。
会社のブランドや肩書きに収まって安定と自負するということは
その会社がなくなったとき何も残らないですよね。でも、自分が成長できているとするなら、自分の能力がたかまったとすれば再生が可能なんですね。

少し言い方がキツくなってしまいますが
「業務形態がこれだからいい」「倒産しない、しずらいから安定」
「給料がこれだけもらえるからすごい」「休みいっぱい卍」

って何かっていうと。
『制度に頼っている。』ってことですね。
制度に頼っている時点で弱いんです。

先ほども言いましたが、反復します。
本当の安定って『自分の能力が高まること』なんです。

資格を取るだとか、キャリアアップ云々ってのも
言ってしまえば、『決まった問題にパスできるかどうかだけ』なんです。
先駆者がいるから”資格”なんです。
先駆者がいるから”キャリアアップ”ってわかるんです。

先駆者がいるってことは、その時点で”新しくない”ことで。
新しくないといつか限界がきます。

限界のある安定ってそれ不安定じゃね?
過去のカザバヤシへ痛恨の一撃たる攻撃が繰り出されました。
痛いですねこれは。

少し脱線しましたが、
だいぶ、『安定』を再定義できてきたかと思います。

あのまま公務員をパスして、役所でよくわからん紙をペラペラ分けて、ごみ拾いとかして、上限のあるお金もらって、無駄に休んでいても。何も安定じゃなかったって気づいたようです。

ところが、この記事で再定義した『安定』へ行きつくにはデメリットというか、歯を食いしばらないといけない場面もあります。もっというと、その時期がとても長く、今の僕もまだまだその時期です。

では、どんなデメリットかというと。
辿り着くまでが長い。
ってことですね。

今まで勘違いしていた安定は
『辿り着くまでが物凄く早い』そして、『壊れるのも早い』でした。
ですが、再定義した安定は逆で
『辿り着くまでが物凄く長く』そして、『壊れることはまずありません』。

そして、もうひとつデメリットとして。
僕ら人間が根源的に感じる安心感ある場所、もの、人間関係、環境。
こういったいわゆるコンフォートゾーンと呼ばれるマイエリアにいるうちは
『安定』に行き着くことはない。ゴールドエクスペリエンスレクイエム状態となります。
つまり、一度コンフォートゾーンを出なくてはいけません。
そしてこれこそ、本当に本当に『安定』を得るための最も辛いフェーズだと思います。

僕は実際に19歳の時に
・プーさんとの別れ(19年間愛した山のようなプーさんグッズを破棄)
・地元から飛行機で2時間以上離れた場所へひとり旅立つ。
・所持物をカウントできるレベルに破棄
・デジタルデータ(個人SNSアカウント、フォルダ)の削除
・人間関係の断捨離(恋人・友達の破棄)

を行いコンフォートゾーンを出た時期がありました。
沢山のものを捨てたおかげで、すっからかんになった両の手で多くのもの拾い上げられることに気づいたんですね。

コンフォートゾーンにいるうちは気づかないのですが、
自分の両手がいっぱいになっているため、何も拾えない状態なんです。

つまり、何も得られない。何も学べない。
だから『安定』に近づけないんです。

自分の能力が停滞するか、あるいは落ちていきます。

まとめとして、
・本当の安定は制度ではなく『自分の能力が高まること』
・コンフォートゾーンを出ないとそれは得られない

ってことで、本日の記事の締めとさせていただきます。
もう途中から『とっくにゼロのライフ』をまだ削られている気分になった方もいるかと思いますが、現実と向き合うってこういうことかと悟ってもらえればなぁと思います。

最後になりますが、
『過度な安定を求めてリスクとるなら、不安定のほうが安定だったりするよね』

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