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私のプロフィール紹介~人との出会いに感謝~

はじめまして。
野球チームで働く理学療法士の渡邉和也です。

私のNoteを見に来ていただいた方々に、これまでの人生を振り返りながら【渡邉和也】という人間がどんな人間か、知っていただくきっかけになればと嬉しいです。

渡邉和也(Watanabe Kazuya)
生年月日:1993年7月10日
出身:埼玉県東松山市
保有資格:理学療法士/NASM-PES/加圧サイクルトレーニング指導資格
ちょこっと自慢:全日本ベンチプレス選手権大会FギアJr.の部 83kg級 第3位(2014年/2015年)

小学校~高校時代:野球少年誕生~「理学療法士」を目指すまで

保育園~小学校2年生くらいまでは、母と姉の影響もあり剣道をやっていましたが、小学校3年生の時に友達から「一緒に野球やろうよ!」と誘われ、野球が何かも分からないまま「いいよ!」と言ったのをきっかけに私の野球人生が始まりました。

小学校、中学校では学校の野球部に入りキャプテンを務め、中学校の頃には地区の選抜チームにも選ばれ全国大会にも出場しました。
高校は地元の高校へと進学し、野球部に入り甲子園を目指して毎日汗を流しました。

高校3年生の春、県外の高校との練習試合をしていたときのこと。
自チームのキャプテンが試合中に「膝前十字靭帯損傷」というケガをしてしまいました。

最後の大会まで2~3か月程度。キャプテンは、手術をしてしまうと最後の夏の大会には出られない、ということでわずかな希望を頼りに保存療法を選択し、最後の夏に希望をたくしました。
結果的には、万全な状態には回復せず、代打という形での出場となりましたが、それまでの彼の努力とキャプテンとしての責任、ケガへの後悔などの気持ちを日々間近に感じていたからこそ、そのプレーをしている姿を見た時に涙が溢れました。
それと同時に、「ケガで困っている選手を助けたい!」と強く思い、理学療法士という仕事を目指しました。

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多くの人との出会いの中で“理学療法”の面白さを知る

大学は埼玉県にある文京学院大学の理学療法学科へ入学しました。
大学では、尊敬する恩師である福井先生との出会いや、初めて臨床見学をしたときに「これがプロフェッショナルの仕事か」と感じた柿崎先生、そんな素敵な先生方との出会いがありました。

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野球に関わる理学療法士になるなら【プロ野球チームのトレーナー】を目指す、と決めていたので、人生で初めて自分から図書館に足を運んだり、医療関係の本を買ったり、セミナーなどにも積極的に参加しました。
医学書やセミナー代というのはけっこう高く、当時の自分のバイトの給料だけでは足りず親にお金を出してもらったこともあり、とても感謝しています。

また、プロ野球のDeNAベイスターズの練習見学や、独立リーグの高知ファイティングドッグスの練習見学にも行かせていただく機会をいただき、より一層プロ野球チームのトレーナーになりたいという思いが強くなりました。
それと同時に実際に野球の現場で学びたいと思い、高校の野球部でのトレーナー活動を始めました。

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そのほかにも大学時代には、「学生のうちからスポーツに関われる環境や学べる場所をつくりたい!」という思いから、当時よく一緒に勉強していたメンバーを誘い、【SPOLEC】という同好会を立ち上げ、学内勉強会や毎年行われる高齢者のソフトボール大会(スローピッチソフトボール)でマッサージブースを出したり、他大学の学生と連絡を取り合同で勉強会をしたりなど、とても貴重な経験することができたと同時に、周りの人と協力しながら何かを達成することの楽しさを実感しました。

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ちなみに、、、
【ちょこっと自慢】として、大学からパワーリフティングという競技を始め、大学3年生と4年生の時にはベンチプレスの全国大会(FギアJr.の部 83kg級)で第3位という成績を残すことができました。

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社会人時代①:都内整形外科クリニックに就職/高校野球のトレーナー活動

大学卒業後は都内の整形外科クリニックに就職しました。
大学では福井先生の「皮膚運動学」や柿崎先生の「胸郭運動システム」という、先生方が作り出したオリジナリティの高い理論を学び、その考え方が当たり前だと考え、基礎的な勉強というのが少しおろそかになっていました。(先生方は基礎の知識がもちろんあった上でその理論にたどり着いている、という過程に気づいていなかった)
私の就職した病院は、クリニカルリーズニングや徒手療法に力を入れており、大学とはかなり考え方の違いがありギャップを感じたのを覚えています。
はじめは考え方に慣れるのに苦労しましたが、今考えれば、あの時に理学療法の基礎的な思考やエビデンスの重要性などを学ぶことができたのはとてもいい経験でした。

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また、クリニックに勤務しながらも週に1~2回程度、高校の野球部へのトレーナー活動は続けており、理学療法士になると決めた時に目指した【プロ野球チームのトレーナー】になるという目標はあきらめていませんでした。

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そして、時が過ぎ就職から3年目のある日、、、


社会人時代②:新たなスタート

就職して3年が経とうとしていた10月頃のある日、Facebookを何気なく見ていると、誰かがシェアしたと思われる「プロ野球のトレーナー募集」という記事が目に止まりました。

理学療法士を目指した時からの目標でもあったし、周りにも「プロ野球チームのトレーナーになる」と公言していたけど、実際には「どうすればなれるのか分からない」「本当になれるのだろうか」と考え始めていたところに、急に舞い降りたチャンスに「これは行くしかない」と覚悟を決め、翌日には当時の主任に相談し、病院の院長、理事長に辞めることを告げ、履歴書を送りました。

当時、「プロ野球チームのトレーナー公募に応募するので今年いっぱいでやめます」と言った時に、「無理だったらいつでも戻ってきていいぞ」とおっしゃっていただいた理事長や温かく送り出してくれたスタッフの方々には感謝の気持ちでいっぱいです。

そして現在、プロ野球のトレーナーになり、それまでとは全く違う環境で初めてのことばかりの日々、つらいことも面白いこともたくさんありますが、この続きはまたいつか。

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最後まで記事をお読みいただきありがとうございました。

これまでの私の人生は「周りの人に支えられて」今の自分があります。
人との出会いに感謝して、これからは少しでも自分が「周りの人の役に立つ」人間になれるように歩んでいきたいと思っています。

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