見出し画像

生まれ変わるとしても、ぼくはまた「書くこと」がある人生を選ぶ。

noteと出会うまで、自分の人生には「書くこと」が存在しなかった。noteをはじめるまで、世の中とのつながり方の一つを知らなかった。

「書くこと」に関する一番古い記憶は、小学四年生の読書感想文だ。「12番目の天使」という小説を読んで、涙した想いをそのまま原稿用紙に落とした。

「毎日、毎日、あらゆる面で、僕はどんどん良くなってる。」

難病にかかった主人公のティモシー少年が毎日唱えていた言葉に心惹かれて書き殴った文章で、生まれて初めて賞をもらった。

夏休みの宿題の中でいつも最後まで残っていた読書感想文は、その夏以来、最初に取り掛かるほど楽しみになった。

思い返せば、幼稚園の頃には家にあった絵本を片っ端から読み、小学生の頃には読み切れない大判の小説を常に持ち歩いていた。高校生になると岩波文庫を読み漁り、名作といわれる小説や古典の中に、人生の指針のようなものを探していた。

いつも本を読んでいたけど、いつも文章を書いてはいなかった。美しい文章や言葉への憧れはあったけど、きちんと学ぼうとしたことはなかった。

どこにも公開されない文字の連なりを書き始めたのは、体調を崩してからだ。自分の中にある、確かなものを探すために、ただただ文字を連ねた。

文字を連ねることの抵抗がなくなってきたころ、星野道夫さんや茨木のり子さん、たくさんの素晴らしい作家に出会った。それ以降、文字の連なりは、徐々に文章に近づいていった。未来の自分のために、自分が読みたいと思えるような文章を書くようになった。

ふとしたきっかけではじめたnoteが、はじめてきちんとした形で、自分の人生の中に「書くこと」をもたらしてくれた。そして「書くこと」は、自分にたくさんのことをもたらしてくれた。

書くことを通して、考える時間が生まれた。
書くことを通して、過去を整理できた。
書くことを通して、未来を描けた。
書くことを通して、いまを生きれた。
書くことを通して、人とつながれた。

生き急ぎがちだった自分に、立ち止まり自分の内側の声に耳を澄ます機会をくれた。人付き合いが苦手だった自分に、たくさんの友だちに出会う機会をくれた。

書くことを通して得たことは、早く書けることでも上手く書けることでもなく、書くことの周りにある自分の人生を生きた時間だった。

書くことを通して起きたことは、毎回、毎回、あらゆる面で、自分に秘められていた可能性が開かれることだった。

書くこと、考えること、表現することは、特別なことではない。誰の人生のそばにも寄り添い、人と人とのつながりの間に自然に佇むものだ。誰にも、誰と誰の間にも、「書くこと」とそれにより開かれる可能性が秘められている。

生まれ変わるとして、「書くこと」がある人生とない人生を選べるとしたら、ぼくはまた、「書くこと」がある人生を選ぶだろう。

ありがとう、note。
これからも、よろしく。




最後まで読んでいただきありがとうございます。