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自分の成長に対する認識の変化

最近、自分の成長を意識することがない。

cotreeはずっとチャレンジを続けていて、いま自分の担当領域は自分にとっての未体験ゾーンであり続けている。

いま目の前にあることをやっていれば、結果的に成長しているだろうという確信がある。自分の感受性を信頼してるのだろう。

いままでたくさん失敗してきて、自分の中で守るべきポリシーがはっきりしてきたから、自分の心が向く先に向かえばきっと大丈夫なことが、直感的にわかる。

だからそんなに焦ってもいない。自分の意思を指針にして進めれば、望む場所にはいつか辿り着くだろうと思っている。

一体いつから焦っていないのだろう。あるべきを捨てたときからかもしれない。

cotreeという会社の特殊性、いまメンバーへの信頼、この数年取り組んできたことへの手応え。もっと良い方向があるかもしれないという未来への信頼。
一般論だけでなく、人の物語に寄り添う。セオリーだけでなく、自らのポリシーに従う。あるべきではなく、ありたいを信じる。

過去ずっと執着していた「もっと早く、もっと強く」みたいな脅迫的な概念はもうない。落ち着いた気持ちでいま目の前の課題に取り組んでいる。

そうしてゆっくり急ぐ間に、成長についての認識が変化したことに気づいた。

不確実さが高い環境における成長は、レベルが上がるようなものではなく、グラデーションのようなものなんだろう。段階的な変化ではなく、濃度が変化するような曖昧なものなんだろう。

まとまった期間の自分の全体性を振り返ったとき、良く変化しているものが成長なんだと思う。指標はきっとなんでもいい。

そんな風に、自然で自由な捉え方ができるようになったことも、自分にとっての成長なんだと思う。

TOP写真は北海道・美瑛での一枚。数年前の写真だけど、この時よりは成長している自覚がある。

最後まで読んでいただきありがとうございます。