見出し画像

28歳、いま思うこと。

28年前の1月25日、5時55分。
雪が降る早朝、ぼくは生まれたらしい。

一昨日から降り出した雪をみて、自分の記憶にはない生まれた日の景色を想像してみた。自分が生まれた病院の窓の外もいま目の前に広がるような雪景色だったのかもしれない。


最近は、数ヶ月に一回くらいある、不調な日々を送っている。寝ても体力が回復せず、朝起きてカフェラテを時間をかけて飲みながら、ようやく目が覚める。二年前に一度体調を崩してからは不調な自分にも慣れてきた。こういうときは、体と心によいことをして時が過ぎるのを待つに限る。

2、3年前の自分は、メンタルに気を使うことはほとんどなかった。中高大と体育会系運動部で「勝つか死ぬか」という価値観をベースに、一瞬の勝利のためにすべてを懸けていた。社会人になっても価値観は変わらず、自分の周りにある機会を片っ端から捕まえては漠然とした成長を追い求めていた。

当時の自分は、自分のコントロールができてなかった。ハンドルのない小舟で激流の川下りをしているような状態。川岸に船を寄せる技術はなく、障害物を超えながら進むしかなかった。危険な船旅を続ければ難破は避けられないことを、当時の自分は予想できなかった。大きく体調を崩して何もしない半年は、自分の価値観を再構築した時間だったと、いまなら思える。

再構築された後の自分は、低気圧でなんとなく不調を感じたり、季節の変わり目は週単位でもやもやとしたり、なんでもない日もやる気が起きなかったりすることもある。そういう自分が存在してもいいことを知って、そういう自分を感じて受け止められるようになった。


一般的に「弱い」と表現される面は、どんなときも自分の中にあった。ただそれを直視する勇気はなく、弱さを覆い隠すために周りに当たったりいたずらに自分を追い込んだりした。

不安から目を背けたくて、とにかく近くあったモチベーションをつかまえた。「〇〇したい」ではなく、「〇〇したくない」からくるモチベーションで自分を強く動かしていた。

負けたくない
無視されたくない
嫌われたくない

自分の周りにたくさんあった「したくない」を打ち消す努力をいくら積み重ねても、それらが「したい」に変わることはなかった。

嫌なものから目を背けても、嫌なものそのものがなくなるわけではない。その気配はずっとつきまとい、向き合わなければいけないときがくる。

とうとう向き合わざるを得ないとき、「したくない」に対して、「どうして?」という問いを投げられると、「したい」につながった。「したい」も「したくない」も、自分の深い部分では同じような理由でつながっているから。

いまでも、無意識のうちに「したくない」に従ってしまうことがある。自分に染み付いた習慣はなかなかなくならない。そのたびに「したくない自分は何がしたいのかな」と問い直すようにして、少しずつ「したい」モチベーションを探すようになった。


去年一年間を通して、自分がすきなことが、学ぶことだと知った。知っていることをより深く、知らないことを新鮮にフラットに、知ることが楽しかった。知ったことで自らの行動を変え、行動からのフィードバックでまた新しいことを知り、その繰り返しをすることが楽しかった。

たぶん元からずっとすきなことで、運動部のときも社会人なりたてのときも、一番奥の方にあるモチベーションは、学ぶことだった。


今年は、自分のやりたいことに純粋になりたい。

すきなことを心からすきだということ
言葉の前にある心をよく感じること
言葉と思考だけではなく行動を起こすこと

誰かの価値観やルールの上ではなく、不恰好でも不完全でも、自分なりのおもしろさやポリシー、コンセプトで生きていきたい。

短期的に自分を満たすのではなく、ずっと自分の中に残るほどの、深い学びを日々の生活からみつけたい。

その機会は、とびきりおいしい料理かもしれないし、涙するほど美しい景色かもしれないし、やりがいのある仕事かもしれないし、友だちとの他愛もない会話かもしれない。

自分のあり方次第でいつでもどこでも学べるし、学ぶ姿勢も感性も磨ける。そう信じられるようになった。これからの自分はきっと大丈夫だから、思うところを進めばよい。


実は昨日までは誕生日にnoteを書く気がなかったけど、去年書いたnoteを読んだら気が変わった。

去年の気持ちを思い出せる文章を読んだら、思わず書きはじめてしまった。そうさせてくれたこのnoteは、いいnoteだった。

そういえば、noteを始めたきっかけも似たような理由だった。

いまの自分が感じることは、いまの自分しか感じられない。だから、いつか消えるとしても残しておきたい。突き詰めてしまうと無駄にみえることの中に、本当に大切なことがいくつもあるから。


27歳の一年は、いままでの人生で一番おもしろい一年だった。

毎年思っているような気もするけど、とても充実していた。過去の自分が積み上げたこととのつながりを感じながら、未来への広がりを見据えて、いまの自分の感性を整えながら、よく生きようと努められていた。

24時間ずっと前向きなわけではないし、一定のリズムで不調も顔を出す。これからもよく変化することを含めて、この生き方を続けていけば、まだまだ人生の奥行きを味わえそうで、静かにわくわくしてる。

やりたいことを言葉にするだけでは現実は何も変化しないから、大切にしたいのは、行動することと変化を生むこと、目の前の一人に届けること。

仕事でも遊びでも、いつも誰か一人を思い浮かべる。昔の自分だったり大切な人だったり友だちだったり。その人たちのよい表情をつくることに貢献できているかどうか。自分たちがつくった関係性はお互いにとって健全かつ持続的か。自分と相手と社会のために、今できることをできているか。

自分のやりたいことの先に誰か一人のよい表情があるなら、たぶん大丈夫だ。

28歳の一年も、きっといままでの人生で一番おもしろい一年になる。


28年後の1月25日、5時55分。
雪が降る早朝、ぼくは28歳になった。

歳を重ねるごとに寒さが苦手になってきた。いまは外ではしゃぎまわるよりも、ぽかぽかに温かい部屋の中からふわふわと舞う雪を眺める方がすきだ。いつまでも、真っ白な雪の美しさを感じられる自分でありたい。



この文章を読んだ来年の自分が、そのときの自分の気持ちを表現したいと思えるような文章になっているといいな。

いつも仲良くしてくれるみなさん、ありがとうございます。28歳のひらやまも、どうぞよろしくお願いします🙇‍♂️

(もらったコメントがうれしいので、ここに追記しておきますね)


最後まで読んでいただきありがとうございます。