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親子のつながりを考える。その①

とりとめもないメモ書きを共有してみる。きっと自分がこれからもずっと考えてくであるテーマの「親子について」。

客観的にみて、手のかからない子どもだった。反抗期もなく、いわゆる優等生的なポジションで目立った問題もなく、公立の高校に進学して、国立の大学に進学して、部活動に勤しむ子どもだった。

実はここ数年、実家に帰っていない。両親に会う機会はときたまあり、両親とすごく疎遠になっているかというと、そんなことはない。ただ以前よりも親子という関係を、すごく繊細なものだと感じるようになった。

二まわりくらい年の離れた人同士が、長い間、同じ空間で親密な関係をつくり、一生涯のつながりをもつ。数ある人間関係の中でも、特殊なものだと思う。まだまだ未熟な自分は、この関係性について、悩む予感がある。

日本でみる飛行機が、海外から飛んできたかと思うと、わくわくするんだ。

ふと、父から聞いた言葉を思い出した。飛行機の魅力を語りだす父の瞳はきらきらと輝いていた。

飛行機をみるために休日に空港まで出かけるほど無類の飛行機ずきである父の、飛行機の楽しみ方は多彩だった。


小学生の頃、父と二人でシンガポールに旅行したことをよく憶えている。

突然のスコールでびしょびしょになったり。
目が光るマーライオンをみたり。
カオマンガイをたべたり。
ナイトサファリの帽子を買ったり。

それら一つ一つは他愛もない思い出だけど、異国の地での新鮮な驚きがあった。未知と遭遇することの純粋なわくわく感を、子どもながらに全身で受け止めていた。

それらの体験は、ゆくゆく自分が海外に一人旅をすることにつながっていったような気がすると、いまなら理解できる。


当時は感じきれなかった父の想いを、少しだけ想像できるようになってきた。子どものころ、社会人になりたてのころ、父の想いを背景含めて想像するには、あまりに若すぎ、あまりに未熟だった。

自分が人の親になったとき、同じように振る舞い同じように想いを持てるか、まだ自信はない。きっと子育てを通じて、人は親になっていくのだと、想像だけはできる。



この文章を書きながら、「自分に旅の楽しさを教えてくれたのは、父かもしれない。」と思った。何歳になっても飛行機への興味を持ち続ける少年のような純粋さは、いまの自分の中にしっかりと受け継がれているような気がした。

自分の基本的な価値観のつくられ方への解像度が少しだけ上がったような発見があった。父への感謝は絶えない。


最後まで読んでいただきありがとうございます。