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嶋津さんへのお返事

寒さは身と心を引き締めてしまうから、少し苦手です。それでも毎日が春に向かって進んでゆくように、自分も前に進まないといけないなぁと感じる日々を過ごしています。

嶋津さんからお手紙をもらいました。

何回も読みました。一つ一つにお返事をしたくて、この手紙を書いています。少し長くなるのですが、お付き合いいただけると嬉しいです。


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嶋津さんへ

とても丁寧で核心をついた言葉の数々は、自分の心に爽やかな風を吹かせてくれました。話したことも会ったこともないのに、お互いに見ている景色が見えたような、不思議な感覚を教えてくれました。

嶋津さんとの出会いの理由を語ることはとても難しいです。「出会うべくして出会った」というほかならないよう感覚であり、細かく語りだすことが野暮なことのように思われてしまいます。

「読む」という行為と向き合うこと無くして、ひらやまさんについて語ることはできません。ひらやまさんについて考えることは、「読むことについて考える」ということと同じであるような気がします。

これには同じ言葉を返したくなります。嶋津さんについて考えることも、読むことについて考えることに近しくなります。

「教養のエチュード賞」に応募されたみなさんへのお返事、圧巻でした。一つ一つの文章を何度も読んで深く考えないと出てこないような言葉をたくさん紡いでいました。普通だったら心が折れてしまうような分量を淡々とやり遂げられていたこと、心から尊敬します。

きっと一つ一つのnoteを読むときの嶋津さんはとても静かなんだろうなぁと思いました。小さな照明のある部屋で紅茶を飲みながら静かに書き手からのメッセージに耳を澄ませている嶋津さんを勝手に想像してしまいました。

ひらやまさん。あなたの「読む」という心構えに対して、僕は共感しています。他者の「読む」と、ひらやまさんの「読む」は意味が違います。

ぼくの読む姿勢は、たぶんずっと遠くを見ているのだと思いました。目の前の文字や文章のその先、書き手の人が書きたがっているその先、書き手の人がみつめる景色のその先を想像しています。ときに書き手の人よりも遠くが見えてしまうことがあるので、そのときそのとき必要な言葉がわかるのかもしれません。

でもそれはとても自分勝手な行為だと自戒しています。自分の想ったことを想ったままに伝えているのですから。ただの願いでしかないのですから。そこにやましさや邪悪さが少しでもあるなら、人に届く言葉は生まれないのでしょう。どんな人でも自分に向けられた悪意には敏感に気づくことができるから。

多くを語らない時もあると思います。一人ひとり、その相手によって相応しい態度や言葉や醸す空気をなじませる。

他人からの期待に応えることは少し前にやめました。厳密に言うと、他人の期待だけに応えることをやめたのです。たぶん、わがままになったのだと思います。自分の期待も他人の期待も、両方を十全に叶えるあり方を模索し続けるようになりました。

いまの自分がしていることは、自分がやりたくてやっていることがほとんどなので、むしろいま近くにいてくれる人には「やりたいことを一緒にやってくれてありがとう」という感謝の気持ちでいっぱいです。

日向ぼっこをする気分で人が集まってくる。僕の言っていることがよくわかるでしょう?

とてもよく、わかってしまいます。

一連の想いや動きが、結果的にルールやしがらみの多い社会の中での、日向になっているのかもしれません。ぼくはけっこう反抗的なので。ただそれは結果として生まれるものであって、大切なことは嶋津さんも言っている「人を想うこと」であり、一人ひとりを大切にみつめる眼差しほかなりません。

ここからは想像の話です。ひらやまさん、あなたにも自分の想いを「伝えたい」という意志が前面に出ていた時期があったのではないでしょうか?そして、相手に「伝わらなかった」過去があったのではないでしょうか?

おっしゃる通り、ぼくには伝えたくてしょうがない時期がありました。人をたくさん傷つけた時期がありました。人はロジックでは動かないことを痛感して、「伝える」と「伝わる」の間にある圧倒的な距離に絶望した時期がありました。

それは暗くて冷たい時期でした。人の温もりも自分の体温も感じることができず、世界から希望がなくなったと感じました。自分一人だったらいまもずっと自分の体と心はあの暗闇の中にいることでしょう。

人の暖かさを教えてくれた人がいます。体温をくれた人がいます。世界の希望を教えてくれた人がいます。ぼくの目の前に広がる煌めく世界は、誰かからもらった種火で照らし続けられているのです。その種火は未来に行きたがっています。種火が燃え上がるには未来に希望がなくてはいけません。

これからの自分と自分に関わる人たちには、過去の自分が経験したような暗くて冷たい日々は不要なのです。柔らかな光に包まれた暖かい日々を送ってほしいのです。

それはcotreeで働く理由であり、人の心と物語を支えたいと思う理由でもあります。

自分の物語を語れる人が増える
他人の物語に耳を傾ける人が増える
顔の見えるやさしいつながりが増える

そんな未来を、丁寧にみんなで、目指していきたいのです。

答えは「自分」の中にあるけれど、正解は「相手」の中にある。僕たちは相手の心を想像して、正解を探す(その正解を相手が気付いていない場合もあります)。それをすくい上げて、自分の意志と絡ませる。その瞬間、自分と相手が一つになるんです。人の笑顔のためにやったことが、自分の幸せに繋がる。

少し先の未来への想いを、目の前の人の気持ちと調和させています。周りの人たちと緩やかなチームをつくりながら、自分と周りの人が共通して目指せる未来に向かっていきたいと、ずっと願っています。

それは損得や利益の話ではありません。全員が幸せになる方法を探すためには、相手の声に耳を傾ける必要があるのです。そのように思考が切り替わった瞬間、全ての景色が輝いて見えます。きっと、あなたの瞳にも、世界は美しい煌めきを放って映っていることでしょう。

煌めいて見えることは、自分だけの力ではないのです。いま自分の周りにいてくれる人たちが、本当に良い人ばかりで、良い夢を見させてもらっています。いままで支えてもらって人たちからもらった未来への種火を、次の人たちに渡していくことが自分の使命だと感じています。


つらつらと書きたいことを書いてしまいました。最後に嶋津さんにいじわるな質問をしてこの手紙を終わりたいと思っています。

嶋津さんがみつめる未来の希望はどんな形なのでしょうか。ぼくとは少しだけ違う気がするのです。嶋津さんが佇む広場はどんな景色でしょうか。そこにいる人たちはどんな表情なのでしょうか。その人たちをみつめる嶋津さんはどんな表情なのでしょうか。

こんな漠然とした質問をもらったらぼくだったら困ってしまうのですが、嶋津さんならきっと大丈夫と思い、投げかけてみました。

お忙しいと思いますので、お返事はいつでも。

お手紙を待つ時間が楽しい時間になる関係は、ぼくはとてもすきです。


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ひらやま
最後まで読んでいただきありがとうございます。