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一番明るい人が、一番深い闇を知っている

輝いて見える人がいる。成功の中心にいるように見える人が稀にいる。そんな人を見ると、いつも思うことがある。

いったいどんな景色を見ているのだろう

自分には見れないような景色が広がっていると思いながら、できる範囲で相手の見ている景色を想像してみる。

遠くまで光り輝いて見えるのか
自分の影が真っ黒に見えるのか

相手の目線を想像すると、どんな人にも光と闇の二面性があるように思う。

仕事や家族、趣味など、人はタイミングごとに異なる一面を見せる。自分から見えるその人は、その人の一面に過ぎない。自分から見える一面だけでその人を理解したつもりになることは、傲慢だろう。

傲慢は学びを妨げる。知ったつもりは、その人を知るモチベーションを奪う。人に対する学びをなくすと、自分に対する学びもなくなる。自分への無自覚さは、多数の可能性に蓋をする。

自分は、こんな人なんだ。
ここが得意だ、ここが苦手だ。
これはできて、あれはできない。

それは本当だろうか。自分を見つめられているだろうか。自分の可能性を見直したくなる。

そうした可能性の目線を明るく見える人にも向けていたい。眩しく感じても、目を凝らしてその人の顔をよく見ていたい。

笑っているのか
泣いているのか
幸せそうな顔をしているか

もし苦しんでいたら手を差し伸べられる自分でありたい。明るさに目を奪われずにその人の顔を見つめられる人でありたい。身を焦がすとしてもそばにいられる人でありたい。

TOP写真は、沖縄での一枚。光を背負っていると、普段とは違う景色が見えたりする。


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