なんでもない休日、note再開を直感した朝。
朝起きて、天井を見る。
立ち上がり、カーテンを開ける。
日の光を浴びて、目が覚める。
机の上にある水を飲む。
ぼさぼさの髪を少し整える。
いつもの服を身に纏う。
バックを背負い、忘れ物を確認して、
電気を消して鍵を掛けて、部屋を出る。
天気が良いと、階段を降りる足が軽い。
お目当てのカフェに行く途中、
普段は通らない横道に入ってみる。
大通りとは違った趣だった。
見慣れないお店を横目に、
少しだけわくわながらカフェに向かう。
カフェに行こうと思いついたときから、
なんとなくわくわくした気持ちになれる。
看板を見つけて、ほっとする。
写真を撮る観光客の人をみながら、
階段を上がる。お腹が鳴った。
少しだけ聞こえる音楽と、
コーヒーの良い香りと、
統一された制服。
窓際の席に座って、本を開く。
読み古した本のページをめくる。
しばらくすると、カフェラテが来た。
飲みながら、周りを見渡してみる。
カフェにいる人の表情は様々だ。
笑っている人、顔をしかめる人。
話してる内容はわからないけど、
同じ空間にいる人が気になってしまう。
こんなに近くにいるのに、
二度と出会わない人がいるかと思うと、
いまこの瞬間の出会いの偶然性に驚く。
ふと、noteを再開しようと思った。
特別な理由はないのだけど、それでいいのだと直感した。「劇的な再開にできたらいいな」と少しだけ企んだけど、疲れてしまうそうな無理はやめた。
書きたいときに書けばいい。
書きたいことを書けばいい。
書けないことも書けばいい。
書く書かない、書ける書けないで、一喜一憂することは本質的ではない。飲んでいるカフェラテの模様が不規則に変化していた。書くモチベーションも日々変化するものだと思った。
やりたいことが、たくさんある。
一週間くらいしかnoteを休まなかったけど、長い間離れていたような感覚だった。
休んだ期間の長さに大した意味はなかった。休むことを決めて休み、再開したことが大切だった。終わりも始まりも自分で決めるものだから。
noteを書くことは、自分の気持ちに向き合うことだ。noteを送ることは、手紙を送ることだ。noteを読むことは、相手を想うことだ。
たくさんのnoteを書くことは、自分の人生を表現することだ。たくさんのnoteを読むことは、相手の人生を味わうことだ。
noteを通してたくさんの人とつながれた。noteがきっかけでたくさんの人にお会いした。noteを読むことで得られたことがたくさんある。
きっと楽しいことも大変なこともある。輝く朝も真っ暗な夜もある。順調なことも上手くいかないときもある。
あらゆる出来事を楽しむかどうかを決めるのは自分であることを忘れずに、生きるように書いていきたい。自由に楽しみたい。
これからもよろしくお願いします。
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TOP写真は、朝のcotreeオフィス。日の入り方がとてもすき。
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