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「あなたのことを、肯定も否定もしないよ。」

相談を受けたり話を聞いたりしたとき、いままで何度か言ったことがあります。

伝えたかったことが、いくつかありました。

ぼくが肯定も否定もしなくても、あなたはあなたとして確実に存在しているということ。
ぼくがあなたの人生の責任を負うことはできないから、あなた自身が立ち上がらなければいけないこと。
ぼく一人に大したことはできないけれど、話を聞くことはできるということ。

目の前にいるぼくが肯定も否定もしなくても、あなたはあなたとして確かに存在しています。色々な人や状況によって、自分自身の存在意義が揺らいでしまうことはあるかもしれません。

ただ揺らいでいるからといって、なくなってしまうわけではありません。なくなったように見えても、なくなったわけではありません。

本人も見えなくなってしまっているかもしれないその人の存在を、まず信じることからはじめたいのです。

ひとは一人ひとり独立しているので、最終的に誰かの人生をまるっと責任を負うことはできません。

どれだけ近くにいても一瞬目を離した隙に何かが起きてしまうかもしれません。すべてを監視して管理するよりも、できればその人自身の立ち上がる力をエンパワーしてあげられるといいと思うのです。

それに必要なことはたくさんありますが、一つは、自分で自分を生きようとする意思のようなもの。言葉や表情に出なくても、その人の中に自分の人生に対する方向性のようなものがなければいけません。

人が人に影響できることは、たかがしれているように感じています。他人の気持ちや行動を変化させることは、そうそうできません。

ぼくから誰かにできることは、その人の話を聞くこと、関係性をつくろうと試みること、ぼくが持っているものをギブすることくらい。

最終的にあなたの人生をよく変化させるのは、あなた自身でしかないのです。

自分からできるアクションをして、誰かの何かのきっかけの一部にでもなれば、それは充分すぎるくらい充分なことです。

書いてみて、言葉足らずだったかもしれないと反省しました。いま誰かに同じ言葉をかけるとしたら、こんな感じだと思います。

「ぼくはあなたのことを肯定も否定もしないよ。ぼくがそんなことをしなくてもあなたは確かにここにいる。いまは見えないかもしれないけど、きっと大切なことはもうあなたの中にあるから、時間をかけてそれを見つければいい。そのヒントになるなら、ぼくはいくらでもあなたの話を聞くよ。」

自分からできることは本当に少ないから、必要な時に手を差し伸べられる人でありたいです。


最後まで読んでいただきありがとうございます。