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大切な人と時間をすごす意味

最近、大切な人との時間を、大切にしている。

話をしたりお茶をしたり、オフラインでもオンラインでも、個別のZoomでもラジオでも、人と時間割共にすることのありがたさを感じる。

限られた時間の使い方を、よく考える。

モノや情報が溢れて、あらゆるものがコモディティ化している。いままで喜ばれていたものの価値が薄まり、大切さを表現することが難しい。

そんな中でも、時間は誰にも平等に存在する。

誰かの時間が生み出す経済的価値は、仕事や役職により変化するかもしれない。だけど、人と人とが関係をつくるとき、自分とその人が共に過ごす時間は、自分とその人以外、誰にも代えがたいものだ。

モノをあげるでもなく、お金を渡すでもなく、言葉を送るでもなく、自分の時間を相手と一緒に使うことで、大切さを表現していきたい。

長い時間が必ずよい関係性を生むとは思わないけど、同じ時間を過ごさずによい関係性がつくれるとも思わない。

どんな人にも、調子がいいときと調子がわるいときがある。長い時間をかけて関係をつくるとき、何度も調子の波を乗り越えることになる。

相手の調子がいいときに、一緒にいるのはとても簡単。自分のエネルギーは使わず、むしろエネルギーをもらえるばかり。

相手の調子が悪いとき、一緒にいるのは困難かもしれない。そういうとき、少しでも、自分から元気を分けたい。

良い顔ばかりではなく、悪い顔も見せあった上でつくられる関係は、きっと心地がよいものだ。

誰かのために、時間を使うのなんて。

誰かのために自分の時間のすべて使うことは、愚かかもしれない。ただ、自分のためだけにしか時間を使えないことも、それはそれで貧しいのだろう。

自分の時間を、相手のためにも自分のためにも使えること。二人のよりよい関係性のための時間を使えること。それはとても尊いことだ。

恥ずかしくてあまり言えないけど、大切な言葉を、ここに置いておきたい。

きみと一緒に、生きたい。





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