ぼくは、自分が何を美しいと感じるのか、自らの手は美しいものを生み出せるのか、それらが知りたくて、さまざなことを感じたり考えたりしている。 下書きした文章があったけど、どうもしっくりこないので、全部消して一から書き直している。この文章は使われないかもしれないけど、それでもここに書かれていることが面白いと思う。残り続けるかもしれないし、消えるかもしれない。複数の可能性が可能性のまま共存している、それはまさに、いま自分が、自分に感じていることそのものだ。 * 一年と少し、のん
余韻が長いものは良いものだ。三週間前に見た舞台『TIME』の光景と音が今でも度々頭の中に浮かび上がる。あの光景と音の意味の余韻に浸りながらその時に感じる感情を探っている。楽しい。 この前の『サウナとビールの土曜日』のイベントの後にも同じようなものを感じて、久しぶりに「いい仕事をしたなぁ」と思った。 自分たちで作った空間の雰囲気とそこにいる人の雰囲気とやりとりの熱とが溶けてうまく混ざって触れたことのないような感触になって手元に返ってきた。嬉しかった。こういう瞬間を求めて、人
平穏を求める心とガラスを勢いよく割りたい気持ちを行ったり来たりする。あと物を燃やしたい気持ちもある。自分の中にある衝動性の扱い方をよく考えている。 肉を食べることからスタートした週だった。 茅場町にある『やっちゃん』というお店で食べたタンとハラミがとてもおいしかった。おいしい肉はなんでこんなにおいしいんですかね、タンは厚くて柔らかいとはちゃめちゃにおいしいですよね。また行きたい。せんまい差しもおいしいらしい。 4月27日に久しぶりにnoteもくもく会やるので、ご都合合う
大変久しぶりですが、4月27日(土)13:00-15:30にnoteもくもく会をやろうと思っているので、そのお知らせを。 会場は去年から運営し始めたオープンスペースの『おざぶ』です。 参加費500円(メンバーシップ入っている方は月一回無料)で、ひらやまが淹れるドリップコーヒー1杯付きです(たぶんブルーボトルのブレンドの豆を使うと思います)。 前職時代にオフィスを間借りしてやりながら、その後にオンラインでもできないかと思い約一年前にメンバーシップで立ち上げたまま、全然続け
自分の詩を読んでくれた人が「この詩を他の人にも送っていいですか」と聞いてくれた。もうそれはもちろんぜひ。どうか、詩が送られた先の人に静かな時間が訪れますように。 ちょっと誘いづらいかもなぁと言う人に、連絡返ってこなくてもいいから一応連絡を送ってみる精神 is 大事。 家のインテリアのレイアウトを仮組みしたくてやりたかったblender、自学したけど全然わからなくて挫折してたけど、たまたまTwitterで見かけたミヤオウさんのワークショップに参加してきた。 大井町に根付い
続けることは、やめないことだ。 書かない期間が空いても記事を消してもアカウントを消しても、それだけでは続けていないとは判断できない。そもそも厳密に続けているかどうかを判断できるのは、書いている本人だけだ。 本人の選択肢から”書くこと”がなくなった時、書くことをやめたことになる。noteなら、「noteをやめます」と宣言した時、あるいは言わずとも決意した時、noteをやめたことになるだろう。アカウントや記事が残っていても、「やめます」と宣言されたなら、あるいはやめたと決意さ
日曜日に書き始めたのに書きたいことを足していたら、気づいたら水曜日になっていた。不思議だ。ここにのせることを選ぶのはいつも少し難しいが、その難しさには意味があるように感じる。 去年八月から日記を書き始めたので、今月で九ヶ月目になった。 こんなに続くと思ってなかった。上のnoteにも三日坊主になったら笑ってくれと書いていた。昔は毎日決まったことを淡々と続けることは苦手だと思っていた。いまでも時間や場所を完璧に固定できるほど几帳面ではないのだけど、なんだかんだ続けられているこ
茨木のり子全詩集に載っている詩を最初から順番に写経し始めた。一つ一つが素晴らしくて書き写しているだけで心が折られそう。自分がいかに平凡かを痛感させられる。それでもいいんだ、いまはただこつこつ書いていくんだ、量を書くんだ、と決意を新たにする。そしてまた写経して、また心を折られる。その繰り返し。 数年前、北海道の岩見沢に一人で二週間、山間の山荘に泊まった時間、とてもよかった。レンタカーを借りてスーパー行って食材買って自炊して、近くの銭湯とサウナに行って、怖いくらい静かな家の中で
友人が欲しかった。自分が誰かと仲良くなれることは嬉しかったし、誰かと誰かと仲良くなることも嬉しかった。この祈りの原型は小学生くらいの頃にはもうすでに形つくられていたように思う。 一方で、一人で過ごすのも好きだった。本を読んだり一人でドッチボールの練習をしたり(壁に向かってボールを投げてた)積み木を積んで崩してまた積んだり秘密基地をつくったり、どれも好きだった。 大人になるというのは、物わかりがよくなることだと思っていた。大人になって感じることは、何かをわかれることなど、ほ
タイにいる。外は35度を超える暑さで、エアコンの効いた室内でこの文章を書いている。一週間ほど滞在する予定。ハワイでも沖縄でも感じたけど、暑い場所の光は、白みがかっている。空の青さも淡い。現地で生活するように過ごしたい。キッチン設備はあまりないので自炊はできないけど、屋台でごはん食べてタイ式マッサージ屋にふらりと入って怪しい人に話しかけられてナイトマーケットをふらふらしたい。 これ書いておいてよかったなぁと、強く思う。書くべき理由がある文章独特の強さがある。必死に書いて、公開
私が感じるもので、最も重たいものを、どこかで表現できたなら、それはすごくいいことだと思う。 家具が好きで、中でも椅子が特に好きなんですが、ふと、人類はいつまで椅子に座っているのだろうと、疑問に思った。いや、思っただけで何かを思いついたわけではないのだけど、毎日当たり前のように座っている椅子という道具の、ずっと未来を考えてみると、まったくわからなくて、おもしろい。 10年や20年では何も変わらないような気がするけど、50年後くらいには、3Dプリンターで自分の体格用に印刷され
無力な自分にできることは、ただ、さまざまなものの時間を引き延ばすことなのかもしれないと、思ったり思わなかったりする。根本的には楽天的だと自覚しているけど、その楽天さは誰かを傷つけていることもあると思うので、良いのか悪いのかもよくわからない。 日記でもエッセイでもどんな内容でもnoteを書いて公開し続けていることの良さの一つに、どうしようもなく気持ちが溢れた時に、その時の自分に書くという手段と書ける場所が存在してるってことだろう。どこかで誰かに話してもいいけど、生き生きした気
知り合いが更新している日記を見て、あ、自分も日記を書こうと思い立つ。出来事を記載しない、思考未満の覚書なら一日中しているのに、何があったかを振り返ることはついつい忘れてしまう。ので、この日記を書くことに意義を感じている。 今週の始め、前職の後輩だった友人のライブに行った。約五年ぶり、その人が初めて書いた曲をライブで披露した場に居合わせた以来だった。 歌声を聴いて、歌う姿を見て、ライブの雰囲気を感じて、その人が五年間で積み上げてきたものを感じた。音楽活動とは直接関係のない仕
詩を読んでくれた人から「作者を創作に突き動かすものはなんだろう」と聞かれて、ここ数日うんうんとうなりながら考えていた。 メモ帳に書き散らしながら考えているけど、すらっとまとめられない。表現したいこと、自らの表現によって感じたいこと、生きる上で大切にしている感覚、必要不可欠な感覚を得ることの周辺に何かあるような気がしている。それは何だ。 生きている以上、生きることしかできない。気づいた時には生まれ落ちていたので、どうせ生きるなら、生きる張り合いのようなものを持ちたい。生きな
起きぬけにこの文章を書いている。昨日も書こうと思ってnoteの真っ白な画面を開いたが、何も書けなかった。ので、リベンジ。 相変わらず、せっせと詩を書いている。自分のペース的に、月10本ほど仕上がればよいらしく、11月、12月はそれぞれ10本ずつ、1月は4本ほど仕上がった。ある程度まとまったら本にしてみたい、まだ先の話だが。 声かけてもらった方と友人10人ほどに書いた詩を読んでもらって、感想をもらった(もし読んでみたいという方がいたらお声かけください!)。もらう感想の書き方