妻の入院
担架に乗せられて、妻は病室に戻ってきた。彼女の顔は青白かった。看護婦達はまだ昏睡状態の妻を手際よくベッドに載せると、ベッドサイトモニターのスイッチを入れた。暗い病室の中で心拍数を測る赤と緑のランプが静かに光った。
六時間に渡る腎臓の手術に妻は本当に良く耐えた。病室に戻って数時間後、ベッドの上で横たわっていた彼女が突然、私に言った。 「御飯食べた?」
自分の命がどうなるか分からないのに、私の事を気付かう彼女のやさしさに言葉が詰まった。
娘から電話が入った。妻が初めて微笑んだ。「私は大丈夫。心配しないで。」そう短く言うと、彼女は電話を切った。手術の痛みでほとんど自分の体を動かす事が出来なかった。妻は再び目を閉じた。
この手術は「家族の事をもっと考えろ。」という警告だと思った。 妻とは二十年以上も一緒に暮らしているが、彼女の事を十分理解していなかった。死に直面しても、彼女はいつも家族の事を考えていた。
翌週、妻は病院を退院した。彼女が家にいるのが嬉しかった。普段の生活を大切にしようと思った。
この春にしたい事は二つある。一つは妻と一緒の時間を楽しむ事だ。今は コロナで旅行に行く事が出来ないので、毎日の生活、特に食事の時間を大切にしたい。私は食事の意味を理解していなかった。それは家族の心の状態を確認し、一緒に過ごせる事を感謝する時間なのだ。病を抱える妻にとって明日は約束されていない。毎食、今回が最後と考えて彼女との食事を楽しみたい。そして、コロナが落ち着いたら、妻が好きなイタリアレストランに行きたいと思う。
この春にしたいもう一つの事は花を植える事だ。これは妻が最近新しく始めた趣味だ。手術の後、彼女はガーデニングに興味を持ち、自宅の庭に花を植え始めた。それは彼女が命のはかなさを感じたからかもしれない。
四月になると様々な花が咲き、彼女の庭は見違えるように明るくなった。 妻は朝起きると、庭を歩き、夕方にはそこで夕暮れを眺めるようになった。私は花の事は良く分からないが、彼女とのガーデニングを楽しみたい。
病室の小さなソファーに座り、妻の静かな寝息を聞いていた時は、こんな日が来るなんて予想も出来なかった。
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