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光速度とは速度ではない②

思い付きの備忘録です。
理論として完成してる訳ではありませんが、見切り発車で進めていきます。

物体の側では重力が働き、時間が遅く流れる

例えば平地の時計より、高地の時計の方が早く進む

よって、重力によって時間が遅く進む

よくよく考えると、この解釈論は間違いである。

何故か?

「時間が遅くなる」という発想は、「元々空間には画一的な時間が流れているが、重力がその流れを押しとどめる」というロジックが根底にある。

しかし、元々何もない画一的な空間と時間が宇宙全体に広がっている訳ではない

これは、科学の現象論として便宜的に表現していると言えるかも知れないが、誤った解釈を前提においては、正しい結論には辿り着かないのが道理だろう。

この便宜的な解釈が、どういう弊害をもたらすのか?

結論から言うと、この解釈では時間と空間を分ける思考に直結してしまう。

平地の時計の秒針が1周するプロセスと、高地の時計の秒針が1週するプロセスが全く同じである事を大前提に考えた場合、
「なぜ平地の時計が遅れたのか?」と考えた時に、「時間の違い」だけが抽出されてしまうからだ。

時計の遅れは時間などではない。
時間は元々、画一的に流れてはいない。
人の意識の産物だ。

時計が遅れた理由は、時空間の歪み(=間延び)が原因だ。

時空間の間延びとは、時空間がピンと張った状態から重さによって歪む事で生み出された疑似的な空間である。(疑似的といった理由は最後に触れる)

時空間の間延びとは、本質的には光速度を0(ピンと張った状態)からマイナス方向に歪む事で発生する。

時空間が歪むと、その局面を沿うように光が伝達する。
よって、その慣性系では光速度は不変であり、時計のメカニズムも特段異変は無いように感じる。局面を基準に構築されたプロセスには異変は生じない。

しかし、重力の影響を受ける時空間が間延びしている以上、プロセスの初めと終わりには当然ながら差が生まれる。
これは流れる時間が遅くなったからではない。
時間は元々物理量としては存在していない。
マイナス方向に歪んだ場の影響としてズレが生じたのだ。

むしろ、認識論的な時間の基準である「光の絶対速度」を基準にすると、その慣性系にある相対的な時間の流れは変わっていないとも言えるだろう。


もう一点、重要な点がある。それは、
重力によって「今ある時空が歪む」のではない。

重力によって生み出された、新たに生まれゆく時空間が間延びするのだ。

エルルギーとは、他に影響を及ぼす作用だ。
影響とは、新たな変化を生む事であり、今この瞬間に広がっている空間には影響を及ぼせない。
影響を及ぼそうと思った瞬間にその対象物は過去の出来事に成り代わる。どうやっても届かない。

時空間はその都度生み出される。
時空間とは重力によって影響を受ける部分のネットワークだ。
ピンと張った光速度の世界には、時空間は存在しない。

ここで、先ほどの命題を再び書きたい。

時空間の間延びとは、時空間がピンと張った状態から重さによって歪む事で生み出された疑似的な空間である。


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