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「実在」や「存在」という概念を単刀直入に考察する!

執筆中に思いついた直観を備忘録的に残しておきます~


日常生活の中で実在や存在と言えば、「目の前に世界が広がっていて、それを観察する自分がいる」という感覚がすぐに浮かび上がってきます。

では、この目の前に広がる物理世界が「確かに実在している」と言い切る為には何が必要か?

少なくとも「自分の心の中だけにあるビジョン」ではない事を完璧に説明する必要があります。

つまり、「もし自分がいなくても客観的に物理世界が広がっている」という事を明確にすることが不可欠になります。

人間の認識の世界を超えた、ありのままの客観的な世界。

実は西洋哲学の世界では、18世紀の巨人イマニエル・カント時代より「こんなことはいくら考えても分かる訳ないから、もうそれを考えるのは止めよう・・」といって、人間の認識の範囲のみを学問の対象に置き換えました。

それ以来、自然科学がその客観的な世界(物理的な実在や存在)というテーマを担っています。

ここでいう、「実在」や「存在」が客観的な自然現象の中にあるとした時、その実在はどのようにして確かめるのか?

まずは「目の前のモノは何で出来ているのか?」という問いのもと、材料や素材、極小の粒子のレベルにまで分解してみます。

ところがご承知のように、現代の物理学が明らかにしたものは、「極小レベルにまでモノを分解すると粒どころか『物体的なもの』は何も残らない」という事実でした。

素粒子は、「粒のような性質と波のような性質を併せ持つ」とよく言われますが、古典物理学の粒や波とは大きく違う性質です。
私は誤解しか生まない悪意ある解釈であると思っています。

量子力学のいう「粒」とは、粒A、粒B、粒Cと区別できるものではありませんし、大きさも幅もありません。客観的に目視観察できるものでもありませんし、誰も見たことがありません。「何か跡のようなものが残る」という状況証拠だけがあると言える存在です。

こんなものが「粒」と言えるでしょうか?
分かりにくい例え話を世界中にばら撒く前に、手っ取り早く名称を変えた方が良いと思います。

また、波の性質と言っても、日常生活でみかける海面や音波や心電図のような波ではありません。(ここではこれ以上の説明を省きます)

更には、時間と空間は同じものであるという事も分かってきました。
タテ・ヨコ・高さ、3次元空間に、一様の時間が流れているという日常的なイメージは完全に間違っています。人間の認識の産物にすぎません。

では、人間の認識の世界を超えた「ありのままの自然世界はどのように広がっているのか?」
この点については、またの機会にお話しするとして、実在や存在の話に戻ります。


あるモノを要素分解しても実在の根拠は見つかりませんでした。空に浮かぶ雲の形が実に個性的に見えても、その材料は同じ水蒸気で出来ている。しかもその材料の根源を辿ると状況証拠しか確認できない。

しかしやはり、マクロ的な視点に返ると、確かに雲のような事象は存在しているようにも見える。

分子構造以上の古典力学が通用する世界においては、確かに事実を証明しているように思えるが、それは人間の認識世界に一致するだけで、「ありのままの自然世界」と一致する根拠はどこにもない!

さあ、困った。科学をもってしても実在を確かめる術はないのか?

否、科学はこれまで本当に「ありのままの自然世界」を知ろうと思っていたのか?


今回の備忘録はここまでにしておきます~

いいねがいっぱいついたら是非続編も書きたいです


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