1996年からの私〜第20回(08年)売上維持のデータ分析
自分なりの根拠を持つためのデータ収集
「敗戦処理」「貧乏くじ」と言われながらも、編集長に就任した2007年の週刊プロレスは売上好調で、年度末にはBBMで社長賞として金一封をいただきました。私が週プロに配属されてから常に右肩下がりだったため、編集部として賞をもらうのは初めてのこと。プロレス不況で苦しいなか頑張ってくれたスタッフを労うため、みんなで焼肉屋に行き、賞金はあっという間に使いきってしまいました。
売上好調とはいえ、プロレス人気が回復したわけではなく、まだまだ下げ止まりは見えない状態。新日本はG1の2連戦を含み両国のビッグマッチは4回(他に2月と10月)。ピーク時は年6回の武道館を開催していたNOAHも集客に苦戦し、武道館の回数も減少傾向。DGやDDTが両国進出を果たすのはこの翌年で、全体的に雑誌の売りになるビッグマッチが少ない状態でした。
さらにこの年の9月にはアメリカ大手投資銀行・リーマンブラザーズが経営破綻。いわゆるリーマンショックにより、世界経済は大混乱となりました。「週プロには関係ないだろう」と思うかもしれませんが、週プロのメインの読者層は30代~50代のサラリーマン世代。10月過ぎに一気に何千部と売上のアベレージが落ち、それはしばらく回復することはありませんでした。サラリーマンの方々のお小遣いの切り詰めの対象とされたと考えられなくもありません。また、ただでさえ少ない広告出稿にも少なからず影響がありました。
光が見えなくても週プロを潰すわけにはいきません。そこで私は編集長に就任した2007年4月から独自のデータをつけ、自分なりに数字の推移を分析していました。その大まかな内容は以下のようなものです。
まずは表紙の内容を分類します。分類Ⅰは表紙のネタの内容。A試合・Bインタビュー・C事件と分類。分類Ⅱは対象団体。A老舗(新日本・全日本・NOAH)・B新興(DG・DDT・大日本・ZERO・無我など)・C女子と分類。分類Ⅲは試合規模。A都内ビッグマッチ(両国、武道館以上)・B地方ビッグマッチ(大阪府立・愛知県体育館・横浜文体など)・C後楽園クラス(府立第二、博多スターレーンなど)と分類。たとえば新日本の両国大会が表紙ならⅠA・ⅡA・ⅢAの表紙となり、DG博多スターレーン大会ならⅠA・ⅡB・ⅢC、西村修全日本移籍ならⅠC・ⅡAとします。
続いては中身の分類。中身は試合、インタビュー、企画を分類していました。中身の分類①は試合。その号に掲載した主な試合を分類します。分類Ⅰは団体(ABCは表紙と同じ)、分類Ⅱは試合規模(ABCは表紙と同じ)、分類Ⅲは内容。6ページ以上割く大一番があればA・なければBと分類し、その週の試合の目玉はなんだったのかを整理します。たとえばNOAH武道館、新日本後楽園、DG博多があるときならⅠA&ⅡA&ⅢA+ⅠA&ⅡC&ⅢB+ⅠC&ⅡC&ⅢBとなります。
中身の分類②はインタビュー。分類Ⅰは人物。Aは大物(アントニオ猪木、前田日明、天龍源一郎など)、Bはチャンピオン、Cは若手、Dは女子と分類します。分類Ⅱは団体(表紙と同じ。OBは出身団体)。分類Ⅲはページ。4ページ以上はA、3ページならB、2ページ以下はCと分類。インタビューに割いたページ数と内容をここで分析します。
中身の分類③は企画物。分類Ⅰは団体(ABCは表紙と同じ)。分類Ⅱはテーマ。A・試合展望、B・歴史、保存もの、C・バラエティー、D・個人・団体丸ごとクローズアップと分類。バレンタイン特集ならⅠC&ⅡCとなります。ちなみにすべての分類に共通して言えることですが、フリーの選手は主戦場としている団体に分類をしていました。
小さな積み重ねで売上を死守
武道館や両国国技館など、都内のビッグマッチがあるときは、試合重視の誌面作りである程度数字が出ることがわかっていました。ところがこの年は全体的に引きのある試合が減少傾向で、試合に頼れるのは良くて月に1回。ウリとなる試合がない月もありました。そのため、こちらから能動的に仕掛けたもので数字を上げていく必要があったのです。
試合のネタが弱いときは、インタビューで引きが強い人物、売りになるページ数を分析して、流れを考えながら起用したり、好調だった企画をリメイクして投入するなど、小さな積み重ねで部数を上げていく。何と何を組み合わせたときにこのくらいの部数が出たという数字をヒントに、自分なりに分析をして、根拠をもってページを埋めていきました。もちろん、売上が上がらなかった組み合わせは絶対に避けます。ちなみに情報は常にアップデートしていかなければいけないため、企画の内容はともかく、選手や団体で動く数字は半年ごとに見直してました。
また、少しでも利益を出すため、広告の担当者と一緒にクライアントのもとに行くこともありました。自分で言うのもなんですが、私は人当たりのいいタイプなので、打ち合わせの席でプロレストークをしていると、気に入ってもらえることもしばしば。この翌年に発売した「プロレス検定DS」にはS編集長という私のキャラクター(画像)が登場しますが、これはごり押ししたわけではなく、私のキャラクターを気に入ったクライアントがゲームのナビゲーターに使いたいと言ってくれて実現したものでした。
正直にいえば数字とにらめっこしながら作る雑誌なんて面白くも何ともありません。本音としてはせっかく編集長になったのだから自分のやりたいようにできればよかったのですが、状況がそれを許してくれませんでした。これまでのnoteで私がやってきたことを読んでくださった方はわかると思いますが、数字から考えるこのやり方は自分のカラーとはまったく違います。それでもとにかく数字を出さなければ終わってしまうので、何かしらの根拠がほしかったのです。根拠を持ってラインナップをつくれば、ダメだったときも問題点が見えやすく、軌道修正しやすい。守りの誌面作りですが、このときの自分の力量ではこれが精一杯でした。
「つまらない」「内容が偏ってる」「ターザンのほうがいい」…etc。絶対評価で週プロを見る読者の皆様から罵詈雑言を浴びせられながらも、会社が設定した売上の目標数値はクリアしていきました。今となっては良い経験だったと言えますが、個人的にはこの時期は完全なる暗黒期でした。そして明るい未来が見えないまま、あの2009年を迎えることになります。
つづく。
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