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1996年からの私〜第3回(97年)800人に一人の逸材!?

喫茶店での面接。ありのままの自分を評価してもらう

97年3月、福島での合宿を終えた私は「週刊プロレス」濱部良典編集長との面接のため、初めてベースボール・マガジン社を訪問。どこか社内の個室での面接になるのかと思いきや、爽やかに登場した濱部さんの第一声は「お昼食べた?」でした。

13時のアポだったため、食べていないことを告げると、プレヤデスという地下にある喫茶店に案内されました。濱部さんは常連らしく、慣れた様子でカルボナーラを注文。面接できている私はここで何を頼むのが正解なのか? 無難に同じものをというべきか。それだと主張がないと思われるか。逆に協調性があると好意的に見てくれるか。瞬時にいろいろ考えましたが、隣のテーブルに来たカレースパゲティがあまりにも美味しそうだったので、本能の赴くままにカレースパを注文してしまいました。

ありのままの自分で人と接する。ずっとそうしてきたし、そうじゃないとしんどいので、面接でもなんでも、そのままでいいやと開き直ることができました。取り繕うのは結局は無理なんです。そのままの自分を評価してもらわないと意味がないんですよね。カレースパの出現により、本来の自分を取り戻して面接に臨むことができました。

現在の就職活動では髪型も服装も他の人と同じにしないと不安という学生が多いようですが、自分としてはみんなと同じほうが不安。「その他大勢」で一括りにされることのほうが恐怖です。今どきはマニュアルを与えれば確実に実行してくれる真面目な子が多い一方で、自主的に考えることが苦手な子が多い印象を受けます。きっと、「みんなと同じがいい」「一緒なら安心」という考え方が個性を殺しているのでしょう。人と違うのなんて当たり前だし、違うからいいのに、なんで同じになりたがるのでしょうね。


競争率800倍がとんとん拍子で採用

話が逸れました。濱部さんは俳優のような男前で、穏やかで人当たりも良かったため、緊張することもなく、自分がやってきたこと、なぜ雑誌作りをしたいのかなど、ペラペラと喋った記憶があります。2時間近く世間話をしたのち、濱部さんからは「今度は人事部長に紹介するから」と言われ、第一段階を突破したことがわかりました。

後日、人事部長を交えて三人で会ったときには、すでに私の入社は決まっていました。濱部さんの強い推薦だったと言います。濱部さんは「頭の回転が早いし、頑固さと素直さを併せ持った人柄に惹かれた」と言ってくれました。この年、BBMは新卒採用の予定はなく、募集をかけていなかったにもかかわらず、約800人の学生から資料請求があったと聞きました。競争率800倍。インターネットが発達した今の時代は誰でも簡単に発信することができますが、20年以上前は発信する側にいかないと発信することができませんでした。そのため、テレビ、新聞だけなく、出版社も人気の高い業種で学生にとっては狭き門だったのです。

人事部長からは「800人の中から君一人だけを採用するんだから10年で週刊誌の編集長になるつもりで頑張って」と激励されました。こうして私は4月中に内定をもらい、閉ざされていたはずのトビラを開けて、自分でもビックリするくらいのトントン拍子でBBMへの入社が決まったのでした。

自分が編集長の時代も、それ以前も、私と同じように編集部に履歴書や手紙を送ってくる人は一定数いました。そのなかから採用された人がどれだけいるかは分かりませんが、私も含めて編集長は必ず履歴書や手紙に目を通してはいます。多忙な日々の中で目にする手紙や履歴書の内容が、普通だったり、みんなと同じだったりしたら興味がわくことはありません。つまり、何か目にとまるものがないと次のステップに進むことはできないということです。

自分の場合はどうだったのか? いま改めて思い出してみると、一つはレスリングの実績。プロレス界にはレスリング出身者が多く、その実績がプラスに働くと好意的にとらえてもらったのかもしれません。そしてもう一つは手紙の書き方でしょうか?

編集長宛の手紙となれば入念に下書きをして、一文字でも間違えたら最初から書き直すのは当たり前。ところがこのときの私は、下書き一切なし、間違えたら修正液で修正して、最初から書き直すことはしませんでした。かなり失礼な印象をもたれる恐れもありましたが、下書きをして定型文的なものになるより、思いのままに自分の気持ちを伝えるために、一発勝負で書こうと思ったのです。こうした方法により仕事への熱量が伝わり、会ってみようと思ってもらえたのではないかと、自分では分析しています。

早々に就職を決めた私は、大量に残った単位を取得すべくほぼ毎日大学に通い(2年時にケガで半年学校に行っていなかったため単位が大量に残ってました)、子供の頃からやってきたレスリングの集大成の一年として、練習にも励みました。

大学を卒業したらいよいよ週プロ編集部で働ける…と思っていたところ、予期せぬ出来事が立て続けに起こることになります。このあたりは次回の更新でお届けします。

つづく

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