1996年からの私〜第8回(01年)退社か? 残留か? 会社の奴隷にならない選択
タダ働き3年。もう1年続けるか
高山選手への取材をきっかけにした意識改革、そしてNOAHの旗揚げにより、少しずつチャンスが増えていき、自信もついてきたなかで2001年を迎えました。
3月、前年と同じように会社からは当然のように嘱託社員継続の打診がきます。またしても人事部長が前年と替わっていたため、過去の話はリセットされています。当時のBBMの正社員と嘱託社員の大きな違いは退職金の有無と、休日出勤手当の有無。出張の際の手当も嘱託社員にはなかった気がします。週刊誌で働いていれば嫌でも休日出勤が増えますが、嘱託社員はタダ働きです。バイト時代もタダ働き(第5回参照)だったので、すでに3年間休日タダ働きをしていたことになります。会社としては嘱託社員にしておいたほうが安上がりなので、正社員にはしたくない。高山選手の言葉に置き換えると(前回参照)、何もできないなら会社の奴隷として嫌でもその条件で働くしかないのです。
この年、私は嘱託社員としての契約を拒否しました。当時25歳。少しずつ自分に力がついて、編集部の戦力となっている自覚もありました。そのため、前年と同じ条件で契約して不満をグチグチ言うくらいなら、フリーになろうと考えていました。ある程度、交渉の席で起こることを予想してシミュレーションしていたので、この時のことはかなり鮮明に覚えています。
人事「今年も嘱託社員としての契約を結ぶから、契約書にハンコを押して。君の働きを評価して去年より年間10万円アップにしておいたから」
佐久間「(年間10万円って、1カ月1万円以下じゃん=心の声)いつになったら正社員になれるんですか?」
人事「仕事が一人前にできるようになったらちゃんと評価するからハンコを押して」
佐久間「一人前の基準はどういうものか教えてください。そもそも僕がどんな仕事、どれくらいの量の仕事をしてるか知ってますか?」
人事「それは部長や編集長から聞いてるから。それでちゃんと評価してるから」
佐久間「では、僕の仕事が評価に値しないから正社員にはなれないということですか?」
人事「もう少し頑張れば来年にはきっと正社員になれるから、もう1年嘱託で頑張れ」
典型的なやるやる詐欺。このやり取りで、もはや自分は会社にとって800人に一人の逸材(第3回参照)ではなくなったことがわかりました。都合のいい作業員の一人程度の扱いなら、しがみつく必要もないと考え、嘱託社員継続を遠慮させてもらうことにしました。
佐久間「自分のやっていることと、会社の評価がずいぶんズレているようなので、契約は更新なしで3月いっぱいで終了でいいです」
人事「契約しないと社員じゃなくなるから、週プロでは働けないんだぞ。無職になるけどいいのか?」
佐久間「わかってます。今ならもっと自分を正当に評価してくれるところがあると思うので」
人事「よその会社で働くつもりか? ライバル誌はダメだぞ」
佐久間「評価してくれるところがあればです」
人事「ライバル誌にいくのはダメだ。編集長はどう言ってるんだ?」
佐久間「どう言ってるかって…部長と編集長が佐久間は正社員にしなくていいという評価だったんですよね? だとしたらよそにいっても問題ないと思います」
人事「それは違うだろ。部長と編集長と相談するから、ちょっと待て」
こうしてBBMとの交渉は決裂し、フリーになることを決めました。私はバカではないので、決裂することを想定して、あらかじめフリーで活動している先輩方にリサーチし、どのくらいの需要があり、どれくらい稼げるかのある程度の計算はしておりました。当時は格闘技人気がうなぎ登りで、各団体のオフィシャルの仕事を回してもらえる話もすでにしていて、なおかつ今よりも雑誌の原稿料がだいぶ高い時代だったので、少なくとも給料の倍は稼げることは予想できていました。
また、正社員になれるか、フリーになるかの決断はこのタイミングでしなければいけない個人的な理由がありました。実はこの年の11月に結婚することが決まっていて、もしも会社との交渉が決裂したら、結婚を白紙に戻そうと考えていたのです。そしてフリーでも家族養っていけると判断したタイミングで、再度プロポーズしようと思っていました。つまり選択肢として、最初から嘱託社員の継続はなかったのです。
まだ恩返しができていない……残留を選択
フリーとしてバリバリ働いて稼ぐぞー!と気持ちを新たにした翌日、再び人事からの呼び出しがありました。
人事「昨日、濱部局次長と佐藤編集長に君のことを話して、特例として正社員にすることにしたから。正社員にしてやるんだから、ありがたいと思ってもっと頑張って働いてくれ」
その言い方があまりにも横柄であり、最初の交渉のときに「部長や編集長とは話している」と言ったことが嘘だったことが判明。腹立たしかったため、「少し考えさせてください」と返事を保留しました。
三次“チョッキ”敏之さんからは「フリーとして格通に戻ってこい」と言っていただき、ライバル誌の先輩記者からも「佐久間くんが来てくれたらウチは安泰だ」と声をかけていただき、迷いがあったことも事実です。おそらく人事から連絡を受けたであろう、編集局次長の濱部さん、編集長の佐藤正行さんと、それぞれ個別に話をしました。決裂した時点で気持ちはフリーに傾いていましたが、やはり、私をこの世界に引っ張ってくれた濱部さんへの恩を返せていないという思いが大きく、悩んだ末に会社に残留することを決めました。
会社に残ることになったとはいえ、当時の人事部長は会社の事実上のボスでもあった専務が兼任。そのボスに盾をついたため、完全にブラックリスト入り……そう思っていました。ところが、この一件以来、専務は私の存在をインプットしたらしく、社内で顔を合わせるたびに「最近はどうだ?」「たくさんページやってるな」と、声をかけてくれるようになりました。あれだけ言ったからには結果で示せということだったのでしょう。
正社員として新たなスタートを切った私は、この年、初めて「編集長」を経験することになります。その編集長初体験の話は次回お届けします。
つづく
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