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不可能を可能にするアスリート

両脚大腿義足での陸上競技への挑戦

7月です。パリオリンピックの開幕が迫ってきました。そしてオリンピックの後にはパラリンピックもおこなわれます。オリ・パラともに、これまで取材させてもらってきたアスリートの方々が出場するので、とても楽しみです。一方で、夢舞台への出場が叶わなかった選手も数多く存在します。というわけで今回は前例のない挑戦を続ける一人のアスリートを紹介したいと思います。

日本で唯一のT61クラス(両脚大腿義足)のアスリート・湯口英理菜選手は、1000人に一人と言われる、両脚が内側を向く先天性内反足の障害を持って生まれました。内反足はギプスでの矯正や手術で歩行できるようになるケースもありますが、彼女の場合は治療をしても将来的に歩けるようになる可能性がない重度の症状でした。そして物心がつく前の3歳の時に両大腿から下を切断しています。幼稚園に通うために義足をつけることになり、気づいた時には義足が当たり前だったと言います。

元々、体を動かすのが好きだった湯口選手は何かスポーツをやりたいと考えていました。両脚に障害を持つ彼女がスポーツをするとしたら車いす競技になりますが、「当時は車椅子に乗ってしまうと本当に体が不自由な子という印象が強くてあまり乗り気になれなかった」と振り返ります。

そんな彼女にとって大きな転機となったのは中学生の時。ちょうど大人用の義足に作り替えるタイミングで、義肢装具士の臼井二三男さんと出会ったことでした。彼が主宰する義足ランナーのための陸上クラブ「スタートラインTOKYO」の体験会に参加したことをきっかけに、陸上競技を本格的に始めることになります。

日常生活用の義足と、競技用の義足はまったくの別物で「最初は歩くことはもちろん、1人で立つこともできませんでした」と湯口選手。先天性の障害を持って生まれた彼女は一度も走った経験がないため、そもそも「走る」という感覚を知りません。周りの義足ランナーたちを見て、教えてもらいながら、走れるようになるまで約1年の時間を要しました。

「周りの人を見ていたらもっと簡単に歩いたり、走ったりできると思っていたので、こんなにもできないのは自分の障害のせいなのか、感覚を知らないからなのか…と他の方と自分を比べて、悔しさが大きかったです。でも、『歩けるだけでもすごいよ』と褒めていただいて、それは自分がこれまでやってきたリハビリの成果だと思えて、競技に対しても諦めずに続けていけば、いつかは走れるようになるかもという期待が大きくなって、頑張ることができました」

「スタートラインTOKYO」は義足ランナーの陸上クラブですが、両脚大腿義足のランナーは湯口選手ただ一人でした。日本では両脚大腿義足で走る人が誰もいなかったため、本人はもちろん、指導者も探り探りの状態で練習を続けていきます。走れるだけでもすごいのに、日本体育大学進学後は、100m、200mで次々と自己ベストを更新。現在では200m女子義足T61クラスの世界記録保持者となっています。

できるかできないかを決めるのはやってから

本格的に100mでパラリンピックを目指そうと思い始めた矢先、思わぬ事態が起こります。T61クラスの女子100mが競技人口の少なさを理由にパラリンピック種目から消滅してしまったのです。湯口選手がパラリンピックを目指すなら、自分よりも障害の軽いクラスと混合で実施される「走幅跳」しかなく、彼女は新たなチャレンジを選択しました。

ちなみに下肢の障害については4つのクラスが設けられています。片足のヒザから下が義足の場合はT64クラス、片足のヒザから上が義足の場合はT63クラス、両足が義足の場合はT62クラス、そして湯口選手の両脚ヒザから上が義足のT61クラスです。義足クラスの走幅跳はパラリンピックではこのクラス混合でおこなわれるわけです。

日本では両脚義足で競技者として走る前例もなかったのに、今度は走って跳ぶという、さらに前例のないチャレンジをすることになります。普通なら「無理だろ」と思ってしまいそうですが、「できるかできないかを決めるのはやってから」という、チャレンジスピリットこそが湯口選手の一番のストロングポイントです。

「できないことをやろうとするので、練習中に何度も転んだり、変な落ち方をしたり、そういう場面も多いんですけど、恐怖心を持たずに何回でもやろうという気持ちは強くあるのかなと思います。生まれた時から障害というハンデを持って生きてきたなかで、陸上競技はそのハンデを武器にできるというのが一番の魅力かなと思います」

湯口選手がこう語るように、パラ陸上は義足のブレードをうまく使うことができれば記録を伸ばすチャンスもあります(簡単ではありませんが)。事実、女子走幅跳の東京パラリンピック金メダリストのバネッサ・ロー選手は、湯口選手と同じ両脚大腿義足、T61クラスの選手なのです。湯口選手は、この選手の映像を見たり、片脚大腿義足の選手からアドバイスをもらったりしながら、困難を乗り越えて記録を伸ばしていき、6月に神戸で開催されたパラ陸上世界選手権では、ついに4mを超える記録(4m5㎝)をマークしました。一度でもその競技姿を見てもらえれば、いかに彼女がすごいことをやっているかがわかってもらえると思います。

惜しくもパリでのパラリンピックへの挑戦はおあずけとなったものの、湯口選手の挑戦はまだまだ現在進行形であり、今後はさらに記録を伸ばしていくことが期待されます。そして彼女の存在が同じ障害を持つ子どもたちの可能性を広げることにもつながっていきます。

「幼少期にスポーツをやりたいと思って探しても、選択肢がすごく少なかったんです。両脚義足でもこうしてできるということがわかれば、少しでも障害のある子どもたちの選択肢が広がると思うし、それができたらいいかなと思います」

不可能を可能にして、自身の無限の可能性にどこまでも挑戦していく湯口選手。オリンピック、パラリンピックという夢の舞台に立つ選手以外にも、こうして人々に勇気や希望を与え、自身の限界と戦っているアスリートがいることを知ってもらえると幸いです。

おわり。

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