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三沢さんと同い年になりました。

8月27日に誕生日を迎え、46歳になりました。実は妻と誕生日が同じなので、彼女と付き合い始めてからは8月27日は自分の誕生日というより、大切な人の誕生日という感覚で、自分のことがどうこう考えたことはありません。

しかし、今年の誕生日は少し特別な誕生日でした。というのも、私が尊敬する三沢光晴さんと同い年になる歳だからです。

2009年6月13日、三沢さんは誕生日を5日に控え、46歳という若さで悲しい事故により命を落としました。当時、自分は33歳。いつか三沢さんの歳に追いついてしまうことはわかっていたけど、実際に同じ年齢になってみると、すごく不思議な気持ちです。

私にとって三沢さんは「なりたい自分の集合体」みたいな人でした。レスラーとして満身創痍になりながらも体を張って闘う姿。社長として背中でみんなを引っ張る姿。リラックスした時間のみんなを楽しませてくれるユーモア溢れる姿。信念は絶対に曲げす、時に頑固な姿。誰にでも分け隔てなく優しくできる姿……etc。いつか自分もそんな人物になりたいと思いながら、接していました。

私は31歳のときに「週刊プロレス」の編集長に就任しています。今にして思うと当時の自分は知恵も経験も技量も人脈もなく、未熟そのもの。どん底期にあったプロレス界を盛り上げていけるような力はありません。ただただ必死なだけでした。

足りないものだらけで未熟な自分にとって、理想のリーダー像はまさに三沢さんでした。以前のnoteにも書いていますが、編集長になってから一度だけ三沢さんと一緒に飲んだ席で、私は弱音を吐いてしまいました。理想のリーダーの前でまったく真逆の自分を見せてしまったのです。そのときのことを今でも悔いていて、その気持ちは一生消えることはないと思っています。

あれから干支が一回りして三沢さんと同じ年齢になり、ハッキリわかったことがあります。三沢さんは理想のリーダーで、なりたい自分の集合体ではありますが、私は三沢さんにはなれないということです。というか、そうじゃないんだろうなということです。

三沢さんの一周忌を機にプロレス界から離れて、いろいろな世界を知り、たくさんの尊敬できる人物と出会い、逆にとんでもない目にも遭い、人としては何十倍も何百倍も成長してきた自負はあります。強がらなければ自分を保てなかったあの頃よりも、強くなったぶんだけ確実に人に優しくなれました。だから理想を追いかけるのではなく、自分は自分のできることで、少しでも多くの人を幸せにできたら、それでいいと思えるようになったのです。

たぶん、自分は12年前よりもいろんな意味で面白味のある人間になっているはずです。だから今の自分で還暦を間近に控えた三沢さんと飲んだら、きっとあの頃よりも何倍も楽しいんだろうな…なんて思ったりもします。

46歳は三沢さんと同い年でいられる特別で大切な1年です。一日一日を大事に過ごしていきたいと思います。

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