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1996年からの私

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週刊プロレス7代目編集長・佐久間一彦が、三沢光晴、小橋建太、髙山善廣らプロレスラーに学んだ日々の記録。
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2020年7月の記事一覧

1996年からの私〜第30回(14年〜)トークショーは大変だよ

放送事故⁉ 誰かタオルを投げてくれ近年はトークショーのMCを務める機会が多く、昨年はプロレス、野球を中心に22回MCを務めました。ここ数年は毎年20回くらいはイベントMCをしていて、過去にはいろいろな事件もありました。初代タイガーマスク開始1分前にゴルフウェアで到着事件。藤原組長始まる前から泥酔事件。TAKAみちのく事故渋滞で遅刻事件…etc。 何があってもイベントをうまく回すのがMCの役目。私のTwitterのプロフィールには「徳光和夫お墨付きMC」とありますが、日本を代

1996年からの私〜第31回(15年)2009年6月13日からの三沢光晴〔前編〕

自分の気持ちに決着をつけるために多忙を極めた2014年の年末、『読む野球』を一緒に制作している主婦の友社の佐々木亮虎さん、そしてノンフィクション作家の長谷川晶一さんとともに企画を考えながら飲んでいました。いい具合に酔っ払ってきた頃、佐々木さんが真剣な表情になって、「三沢さんの書籍を作りませんか?」と問いかけてきました。 「来年は三沢さんの七回忌じゃないですか。佐久間さん、一緒に三沢さんの書籍を作りませんか? いろいろ言われているあのときのことをしっかり取材して、関わってきた

1996年からの私〜最終回(15年)2009年6月13日からの三沢光晴〔後編〕

6年の時を経て知る齋藤彰俊の気持ち三沢光晴さんの七回忌に向けた書籍の取材も大詰めへと近づいていました。残された大切な取材は、結果的に“加害者”となってしまった齋藤彰俊選手、そして最後の技となったバックドロップをただ一人撮影していた落合史生カメラマン。どちらも書籍としての重要度は高く、私としても6年間抱えてきた思いに決着をつけるためにも不可欠な取材でした。 齋藤選手の取材は当時ディファ有明に在ったNOAH事務所にておこなわれました。取材場所の一室に入ってくるなり、齋藤選手は「