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幸福の蜜

なんだか急に、母が小さく見える時がある。
実際にはスプーンおばさんの様に何かの切欠で急に小さくなるはずはない。
ある時不意にそう見える。
年老いた小ささともうひとつ、全てにおいて鈍くなり、まるで子供のような幼さゆえの小ささ。
どんどん母と娘の関係が逆転していくような感覚。
悲しく、苛立たしく、そして愛おしい。
その相反した思いが張りつめる。
パーキンソン病はゆっくりゆっくり進行する。
確かな原因も分かっておらず、治療法もまだない。
山中伸弥先生頑張って…。

パーキンソン病は、幸福感や意欲をつくったり感じたりする物質ドーパミンを自ら作り出せなくなる病気。うつのような症状がある。
「楽しいことを考えて下さいね。」
最初に先生に言われた言葉。
楽しいこと考えれてたら、こんな病気になってない。
何気に話をしていて、実は…とパーキンソン病を患う人は意外と多いことに驚く。
そんなに幸せを感じれない人がいるなんて、世界はゆがんでいるかもしれない。
幸福の蜜をどれだけ注いでも、どこかに「喪失感」「絶望感」「過度の疲労」…という名の大きな穴が空いていて、全然満杯にならない。
満杯どころか半分にも満たず、「無くなる!!」と急いで蜜を注ぐ。
ついには蜜が無い…と注ぐ蜜すら不足して行く。

時々、母が小さく見えるのは、私自身が少し疲れている時だ。
言うなれば、「只今、蜜が不足中‼」みたいな時だ。
私が注ぐ蜜なんぞ、幸福というラベルを付けられるような代物ではない。
それでも、何とか底尽きぬように、手当たり次第に注ごうとしてしまう。
そして結局、自分が無力なことを思い知る。
そんな時は、あったかい蜂蜜入りのミルクを飲み、早めにベッドに入る。

いつまでも生きていられるはずもないことは誰だって知ってる。
けれど、幸福感をもってあちらへ行ってほしいのだ。
私も、最後、幸福感に包まれて行きたい。

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