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ふとした時に思い出す光景

「小さい頃の学校帰り、みんなが歩く道でなくて、家と家の間の道を歩いて帰りよったん。」
「なんで?」
「どこまで続くん?っていうくらいの大きなお屋敷の立垣が続いてて、その立垣から、いっぱいの薔薇が咲いてて。綺麗やなぁって、それ見るのが楽しみで。」
「何色の薔薇?」
「赤やピンクや、そりゃもう色んな色の。綺麗やったぁ。」

「それと…、その薔薇の家を過ぎたら小さい祠があって。」
と、目の前の立った数本の背の低い樹木のあたりを指さして、
「あれくらいの木で囲われた小さいスペースに、まっ黄色いタンポポがぎっしり咲いててん。絨毯みたいに。そりゃもうぎっしり。それが綺麗やったぁ。」
「なんでまた急に思い出したん?」
「いや。最近、その二つの光景をよく思い出すんよ。」

想像するに、母の死が近いのかしら?と心配になるほど綺麗な光景だ。
こういう記憶を探してみたが、私には思い出せなかった。もっと年を重ねれば、ひょっこり思い出すのかもしれない。
モノがない時代、景色は色がなかった。だから、キレイな色が一層綺麗に見えたんだろうと母は言った。
そういうことで言うと、私の育った時代は、モノが溢れてどんどんカラフルになっていった時代だ。
真逆の結果が生まれるのは当然かもしれない。
母も私も毛糸やビーズでモノを作ることが好きなのだが、二人の選ぶ色は違う。私はどちらかと言えば、少し濁った色味を好むが、母は混じりけのない綺麗な色を選ぶ。
母は中原淳一の描くイラストのような世界を好む。もうヒールは履けないが、VOGUEのアプリでファッション情報を確認しているらしい。私なんかよりよっぽど流行に敏感である。私は専らプリミティブなものを好む。子供の頃、母が買ってくる洋服は、私には気恥ずかしいモノばかりだった。

ふと思い出す光景がそんなに綺麗なモノばかりなんて、とても羨ましいと思った。彼女の脳からはドーパミンが消えたけど、綺麗な光景の記憶がある。
私の脳には何が残るだろう…。綺麗なものを探しに行きたくなった。でもきっと、思いもよらず出会うから記憶に鮮明に残るモノなんだろう…。
そんなことを考えていたら、恥ずかしい記憶が蘇った。
学校帰りの川沿いの桜並木の歩道。好きな子が来るのを待ちながら、ゆっくり歩いていた時のこと…。何で…。
実らなかった苦い恋ほど、記憶に鮮明に残りやすい…。ガックリ。

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