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大バカメロウの I・My・Me・Mine vol.1

どうしようもない人間だ…と自分で思うことが、よくある…。

兎に角、笑ろときゃ何とかなる!とか、笑う門には福が来るんだ!と、とりあえず、笑顔でいることに努めている私だが、笑わなくちゃ!と脳に言い聞かせているのに、時々、脳が「泣く」という指示をすることがある。

その結果、私の顔は頬の筋肉が引きつり、目に涙が溢れるのを我慢するあまり、赤らみて、呼吸をすると緊張が切れるので息を凝らして口角がうまく上がらない。見るも無残な笑顔の形となってしまう。

私は、そんな無残な笑顔を不本意ながら義理の弟夫婦に差し向けていた。

妊娠を報告された瞬間に。おめでとう!と言いながら。

ちょうど、流産が確定していたのだ。羨ましい、悔しい、空しい、手放しで喜んであげられていない自分の不甲斐なさ、器の小ささ…。不妊治療に励んだところでこうなのに、すんなりと妊娠するなんてずるい…とか思ってしまっているのだ。でも、そりゃそうなのだ。こちらは四十路であちらはつやつやとした妊娠適齢期なのだから。でもなんでこのタイミングなのよと天に悪態をつく。私だって自分がそんなに頑張っていなければ!このタイミングでなければもう少し!笑顔らしい笑顔を差し向けてあげられたはずなのに。つくづく、自分がちっぽけなどうしようもない人間だと思った。もう少し、大らかな人間だと思っていたのに。自己嫌悪でいっぱいになりながら、うまく流産する為の薬を飲んだ。

そんな時、テレビで脳科学者の中野信子氏が「…人間は嫉妬するものだ。それは、いたって健全なこと。問題はそれを受け入れてどう処理するか、向き合うかということにある」というようなことを仰っていて、今度は、このタイミングで耳に届けてくれてありがとうと天を仰ぐのだった。

そうなのか。いつもいつもうまく笑えなくてもいいんだよと言ってもらえた気がした。義理の弟夫婦は、私の無残な笑顔で私の心の異変を気づいたかもしれないけど、幸せだからいいじゃないか。少しくらい、この切ない四十路女子を甘えさせてちょうだいな。

笑顔でいることは勿論大切なことだけど、同じくらい、泣くことも大事だと改めて感じた瞬間だった。自分の中に湧き出てきた感情はなかったことにするのではなく、存分に浸かる時も大切な時間なのだ。何も自己嫌悪でいっぱいになってしまうことはないのだ。

私は大いにお世辞にも美しくはない感情にどっぷりと浸かり、子を産むということは、頑張って叶えるものではないのだと結論付けた。そう。コウノトリが運んでくるのだ。待つしかないのだ。もしかしたら、もう来ないかもしれないけど、それはそれで受け入れるしかないのだと。子は天から与えられるものだから。子を持つことに資格はいらない。子を持つことが優れているということでもない。子を持てなかったことが不幸ということでもない。それぞれの運命だ。

子どもが持てればいいね~が、頑張ってもなかなか叶わないことで、いつしか産むということに必死になっていたかもしれない。それは、生まれてくる子に失礼な話だ。生まれてくる子を『幸せを測る道具』にしてはいけない。そんな当たり前のことをこの大バカは見失っていたかもしれないのだ。全く…。なんてことだ。

それから、半年後、義理の弟夫婦に天使が舞い降りた。小さな手でギューッと私の人差し指を握るその子に、私は心からの笑顔で挨拶した。

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