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感性の遺伝

小学校の時の私の通学靴はキャンパス地に金具の付いた靴で、筆箱は革製で渋い赤色をしていた。遠足の時に持つリュックは、渋い赤の地味なものだった。とにかく、子供が持つそれではなかった。今、思い出すとかなり趣味のいいもので、自分に子供が出来たら持たせそうなものばかりだけれど、子供の頃の私にはそれがどうにも恥ずかしいというか、どうしてこれなの?と納得いくものではなかった。もっと、子供らしいものが持ちたかったのだ。みんなと同じような、子供らしいもの。だって、子供なんだから。

学校の先生に「体育の時間もあるので、紐靴のスニーカーでお願いします。あの靴では少し運動するには難しいでしょう。」と言われた母は、逆に困惑しながら、渋々スニーカーを買い直してくれたのを覚えている。母よ。何故そこで困惑するのだ。最もなことだとは思わないのか?母には学校の決まりや子供だからとか…そういうことが基準ではなくて、あくまで自分の感性を大事にしていたのだ。母にはみんなと同じような運動靴が許せなかったのだ。ボタンを押せばいろんなところが飛び出す仕掛けの筆箱や、アニメのキャラクターなどが書かれたリュック等は断固受け入れがたいものだった。

妹が入学して同じように色々を揃える時、また母は自分の感性を重視するものだと思っていたが、母の信念より妹の自己主張が勝り、「好きにしなさい!!」と、サンリオのキャラクターの書かれたピンクの筆箱と、三匹のかわいい鬼がキャラクターのリュックを買わされていた。

その時の私はどうしていたかと言うと。驚くべきことに母の肩を持っていた。少し、自分の主張が通っていいな~と羨ましく思っていたのは事実だが、「今はいいけど、すぐに飽きちゃうよ。」と地味でシンプルな方を進めている自分がいたのだ。つい数年前、あんなに母が選ぶ色々なものが周りと違いすぎて大人っぽ過ぎて恥ずかしいと不満に思っていたのに。母の感性が引き継がれていたのだ。

妹はと言えば、案の定、すぐに飽きてしまって私の使っていたものを使うようになっていた。当時を振り返って、「子供の事情も考えずに押し付けて。傲慢な親だわ…」と母は申し訳なさそうに言う。

私も妹も結果、今でも選ぶものは母が納得しそうなものを選ぶ傾向がある。沁みついているのだ。感性は似るのだと思う。毎日顔を合わせて共に生活し、母の作る同じものを食べ、ある程度の年までは母の選ぶ服を着て、母を見て母を感じて時を刻むうちに、否が応でも影響を受けているのだ。そして、DNAの様に自分の一部となっていく。不思議だけど当然で、少し怖くもあり、嬉しくもある。

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