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ジーンとドライブ vol.1

結婚するなら、恋愛かお見合いか…?

若い頃は疑いもなく恋愛結婚するものだと思っていた。別にお見合い結婚を否定するわけではないけれど。

でも、今はお見合いもいいと思う。やっぱり、恋愛結婚に憧れはあるけど。

なぜなら私とジーンはお見合い、のようなもので結婚したから。私に限って言えば、「好き~」でも「嫌い」でもなかった。ただ「嫌じゃなかった」というのが一番近い。会った瞬間「ビビッ」と来るものだと思っていたけど全く来ない。だが、何も遮るものがなく事がどんどん運び、出会って1年で結婚した。

自分でもなんでそんなに好きでもない人と、たったの1年でよく結婚したわと思う。そもそも自分の「好き」に疑いを持っていたのだ。「好き」には自分で勝手に装飾していることが多い。だんだん、本来の相手が見えてきて幻滅する。相手のスタンスは最初から変わっていないのに。相手からしたら、迷惑な話だ。最初から本来の姿を見る目がどうも私には無いようだ。だいたい、好きなるタイプからズレていることが多い。自分のことを客観的に見てどんな相手が合うのかが全く分からない。好みのタイプを聞かれても、「兎に角、キチンと働ける人…」と困って答えていた。そんなだから、ある時、『古事記』を読んで決めた。先に口をきくまい。良き時に良き縁が来る。自分では絶対に選ばない相手こそ、一番の相棒かもしれないと思ったのだ。そう決めた時に出会ったのがジーン。

それから7年だが、年々仲良しになっているように思う。愛には色々あるけれど、死に際の年寄りのようだが、人間愛というものかもしれない。

格好のよいことを言ってはいるが、ここに至るまでには大手腕を要した。最初の3年はそれはそれは地獄のような日々だった。たった1年では、ほぼほぼ相手を理解できていないのだから、大変だ。全く違った生き方をしてきた人と人との正しく、ぶつかり稽古のような真剣勝負が繰り広げられた。何度もくじけそうになったけど、今は、それを互いに乗り越えた同士のような存在になっている。これに恋愛感情が混ざっていたら、きっと分かれているんじゃないかと思う。恋愛はきれいだけど、ちょっと雑味が混じると途端に汚い色に変わるから。

純粋に、この一人の人間を理解したいと思えるのは、余計な感情が無いからできるのではと思う。かと言って、誰かが歌っていたけど、いくら純粋に取り組んだとしても、大好きでも、全てを理解し理解されることは不可能だ。ということは、誰しもが相棒を良く分かって結婚しているというわけではないのだ。多くの人がいる中で、顔と顔を付き合わすことが出来た縁と「嫌じゃない」という直感があれば、お見合いもいいと思う。むしろ、お見合いでじわじわと相棒に愛着が持てるのもなかなか良い。



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