観測して初めて、結果は結果としてあらわれる。

 いつも答えをタイトルに書くのは、自分自身が読む側だったら、答えを得るのにダラダラと長い文章を読みたくないからですw
 どうも、山本です。

 量子力学的なアレですが、難しく考えなくても、まあそりゃそうよねと思うわけです。

 私はだいたいいつもその考えで今まで生きてきた気がします。

 誰かがやって出た結果について、別の人がやっても同じになるかどうかはわからないわけで。

 同じ結果を出そうとしてやると、意図が介在するからそりゎそうなるわけで。
 
 科学的な実験や検証は前提とか期間とか条件が決められている範囲内で出た結果を結果としますから、一区切りして結果を“作る”んですけど。
 
 これが“人生”だと、今を結果とするならば、それにどのような意味付けをするか。
 そしてその繰り返し。
 
 望んだ通りに“ならなかった”とするか、“まだなっていない”とするか。
 
 もう少し続けたら叶うかもしれないし、叶わないかもしれない。
 けど、やめたら叶わない確率が高くなるかというと、実はそうとも言い切れない。

 シュレディンガーの猫みたいに、箱を開けて結果を見て初めて、「これはこういう事だったのか」と分析して、同条件下で起こる結果を結果として確定できる。
 
 ただ、同条件下になんて、二度となれない。だって時間だけは、経過してしまえばもう戻れない。
 
 未来は決まっていない。
 いや、どんな未来が来るかを決めれば、それが来る。

 思い描き、振るわせて、意識が神経を通って感覚を呼び寄せたら、来る。
 
 動物にはない、人間にだけ齎された無限の選択肢。

 無限だから、悩ましくもあるw

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?