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価値観を押し付けて、押し付けられて

他人の価値観に良し悪しをつけるほど、私たちは「できた人間」なのだろうか。

つい先日、私が長年フォローしているピラティス・インストラクター、Cassey Hoのある投稿をみて、そう思わずにはいられなかった。

私が "太っていた" 頃は、私のワークアウトを「素晴らしい」「ボディ・ポジティブだ」と言う。でも私が痩せた途端、今度は「ダイエット主義」「拒食症を助長している!」と言う。

なぜでしょうか?
私の発信するメッセージは、昔も今も変わっていません。

この投稿を目にした時、彼女の心の叫びが痛い程伝わってきた。彼女の訴えは、彼女を批判した人たちに向けられたものではなく、社会に向けられたものだから。

ボディ・ポジティブの意味を改めて考えたい、そう強く感じた。

ボディ・ポジティブの定義は「体型や容姿に関係なく、ありのままの自分を受け入れること」だが、なぜ上記のような反応があったのか。

それは、恐らくボディ・ポジティブを「痩せる必要なんてない!今のままでも十分なのだから」と解釈し、痩せること自体を否定する人たちがいるからだ。

自分を定義する為に痩せる必要はないと思う。でも、今の自分を肯定しながら更に自分を磨いていく行為だって、ボディ・ポジティブなのでは?

Casseyは、一度たりとも「痩せよう!」とは言わない。彼女のモットーはあくまでも、 “Be the best version of yourself.”(最高のあなたになろう!)だから。彼女も自分の中の「最高な自分」を探しているのだから、それを否定する権利なんて、誰にもないはず。

それにしても、他人が作り出すイメージは時に厄介だ。

例えば、出産後に復帰した女性アイドルに対して「昔は痩せててよかったのに」と溜め息混じりに呟く人。一度離れた音楽業界に戻ってきたアーティストに対して「昔のように声が出ないのに、なんで復帰したの?引退したらいいのに」と言う人がいる。

私だって、これまで何度も口にしているはずだ。でも、それは自分が勝手につくりだしたイメージをその人たちに投影しているだけに他ならない。

大坂なおみ選手が水着姿の写真をTwitterに投稿した時、同類のモヤモヤを感じた。「純粋なイメージを保ってほしい」「自分を偽ってほしくない」と言うファンが大勢いたようで、大坂選手は「どうして、私の服装について何でも言えると思うの?」と反論している。

なんて言うか、好きな人の何かが変化したことでもう好きになれないなら、離れればいいだけなんじゃないか。勝手に好きになってるんだから、勝手に嫌いになってもいいわけで。

でも、自分が(勝手に)つくりだしたイメージと合致していない=その人を責めてもいい、にはならない。そんなのあまりにも酷いと思う。

『容姿やジェンダー差別のモヤモヤを吐露したい』でも書いているが、私は自分の価値観を人に押し付けるような人間だけにはなりたくない。

でも、自分の憶測だけで物事を判断してしまう時も往々にしてあるので、そこは気をつけたいな。今感じているような違和感をそのままにせず、その都度できる範囲で言語化していきたい。

Photo by kevin laminto on Unsplash


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