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無かったことにしなくていいよ

誰から見てもすぐにそこに「ある」と分かるものは、それで良いのです。

でも、誰が見ても、自分自身でさえも、そこに「ある」となかなか気がつけない時がある。

例えば、あまりにもものすごい美女ばかりに囲まれてると
「自分てなんて美しくないんだろう」と、せっかく「ある」

恵み

が見えなくなったり。

例えば、あまりにもすごい苦労エピソード持ってる人が隣にいると
「自分なんて生ぬるい人生だった」と、
せっかく「あった」

努力や
我慢や
そこで感じたいろんな気持ち

を、自分で「とるに足らないもの」と忘れたふりしてしまったり。

++++

よく、「他人と自分を比較しない」と言います。

あなたは、あなたとしてすでに素晴らしいのであって
他と比べるなんてナンセンスなんですよって。

それって、本当にその通りではあるんだけど
そう言われて漠然と、自分の「良いところ」「持っているもの」
を見つけてそこだけ見ていこうとしたところで

「とはいえ、大して良いもん持ってないよ」
「アイテム数限られすぎだよ」

てかえって辛くなることもあったりするかと思う。

++++

そいう堂々巡りにある時は、ちょっと切り口をかえて

「無かったことにしてるもの」

を見てみるのも良いかもしれない。

もちろん、

「あまりに大きくて辛すぎて抱えきれないから
 あえて無かったことにしてること」

に関しては、まじまじと見ない方がいいこともある。
ただ箱にいれて土に埋めて
それ以外の地上の世界を見てた方が良いこともある。

でも、人によっては、場合によっては

「無かったことにしてるもの」

「お、あったじゃん、たしかに」

と見つけなおし

過不足なくその大きさや質や手触りを確かめることで、

欠けてたピースが埋まり、

他人との比較じゃない「自分」の姿が浮かび上がってくることもある。

ちょうどわたしも、最近何度目かのそんな体験をしたのよ。

++++

こういう誰にも気づかれずに生えて枯れていく雑草の一生だって

みんな

「無かったこと」

にはならなくて。

気づかないうちに、きっとわたしの人生の
どこかのピースを埋めてくれているものなのよね。

あるもの全部を目の当たりにみることはできなくても

世界のどこかからも、自分の中からも聞こえてくる

「無かったことにはされたくないの」

という小さな小さな声を、聴いていたいな。

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(Hino, Tokyo, Japan)

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