無かったことにしなくていいよ
誰から見てもすぐにそこに「ある」と分かるものは、それで良いのです。
でも、誰が見ても、自分自身でさえも、そこに「ある」となかなか気がつけない時がある。
例えば、あまりにもものすごい美女ばかりに囲まれてると
「自分てなんて美しくないんだろう」と、せっかく「ある」
恵み
が見えなくなったり。
例えば、あまりにもすごい苦労エピソード持ってる人が隣にいると
「自分なんて生ぬるい人生だった」と、
せっかく「あった」
努力や
我慢や
そこで感じたいろんな気持ち
を、自分で「とるに足らないもの」と忘れたふりしてしまったり。
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よく、「他人と自分を比較しない」と言います。
あなたは、あなたとしてすでに素晴らしいのであって
他と比べるなんてナンセンスなんですよって。
それって、本当にその通りではあるんだけど
そう言われて漠然と、自分の「良いところ」「持っているもの」
を見つけてそこだけ見ていこうとしたところで
「とはいえ、大して良いもん持ってないよ」
「アイテム数限られすぎだよ」
てかえって辛くなることもあったりするかと思う。
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そいう堂々巡りにある時は、ちょっと切り口をかえて
「無かったことにしてるもの」
を見てみるのも良いかもしれない。
もちろん、
「あまりに大きくて辛すぎて抱えきれないから
あえて無かったことにしてること」
に関しては、まじまじと見ない方がいいこともある。
ただ箱にいれて土に埋めて
それ以外の地上の世界を見てた方が良いこともある。
でも、人によっては、場合によっては
「無かったことにしてるもの」
を
「お、あったじゃん、たしかに」
と見つけなおし
過不足なくその大きさや質や手触りを確かめることで、
欠けてたピースが埋まり、
他人との比較じゃない「自分」の姿が浮かび上がってくることもある。
ちょうどわたしも、最近何度目かのそんな体験をしたのよ。
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こういう誰にも気づかれずに生えて枯れていく雑草の一生だって
みんな
「無かったこと」
にはならなくて。
気づかないうちに、きっとわたしの人生の
どこかのピースを埋めてくれているものなのよね。
あるもの全部を目の当たりにみることはできなくても
世界のどこかからも、自分の中からも聞こえてくる
「無かったことにはされたくないの」
という小さな小さな声を、聴いていたいな。
(Hino, Tokyo, Japan)
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