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人類よ、チヤホヤされよう!世界はfandomそのものだ。

先日、BTSのライブ映像を見ていた時のこと。

彼らが「ありがとうありがとう」と何度も心込めて頭を下げるシーンに
1歳の次男が釘付けになっている。
そして、嬉々としてその真似っこを始めた。

BTSの「ありがとう」に合わせて
彼も私の方を振り返って何度も何度も
繰り返し笑顔でおじぎをしてくれる。

「かわいい〜〜〜〜」
「真似っこ上手〜〜〜」

最初はそんな姿をただ親バカ心で愛でてたのだが

ふと

すでにこの世界から私への"ありがとう"はそこにあり
それがBTSと次男を経由して今届いた(みえる化された)


のように感じられたのです。

もうそうとしか感じられなくて・・・


「ありがとう」を言われるには
それを言われるだけの何かをしなきゃいけない
何かしらの価値を出したことへの対価として
はじめて言われる資格がある

そう思っていたことに気づく。

でも実はこの空気の粒子のひとつひとつに
もうすでに私の存在への「ありがとう」が漂ってて
私は、ただそれを受け取ればいいだけなのに気付いてないだけなのかも。

それを、世界のいろんな要素がバトンでつながり
今目の前で形にして見せてくれたんだ。

そんな「世界からの応援」のように感じられて
その美しさに、ひとり、昼間から号泣したわけです。

思い返してみれば


どんなに美しい月も花も、それを私が見て
「美しいな」と思ってはじめてそこに存在できる。

世界と私はお互いそういう存在で。

私たちはつい、
何をすべきか、何をできるべきかで
頭がいっぱいになり焦ったり走り過ぎたりしちゃうけれども

本当は

何をしてもしなくても
何をできてもできなくても

今私がここにいて、何かを見て、聴いて、触れて、
あぁ生きてるな、美しいな、など

さまざまに感じている時点で
「感じているその対象(世界)」も
そんな私を感じている。


「お互いオーディエンス」

みたいな感じなんじゃなかろうか。



てことはよ。
私はBTSのようにパフォーマンスでアリーナを
埋め尽くすことはできなくとも、
私の目に映り感じられている「世界」のすべてが、
同時に私のオーディエンスであり、
私が一生懸命毎日七転八倒している姿に対して
それらが「ありがとう」「愛してる」「がんばれ」
「まじうける」「どんまい」などを
常時送ってくれている、ってことじゃないの?

実は私にも、超巨大ファンダムあるんじゃない?
そしてそれって私だけの話じゃなくて・・・
全人類BTS並みのファンダムある説じゃない?


・・・・


最近、過去の写真をよく見返しています。

このnoteにも、フィルムの旅写真をたびたび掲載してきた私
かつては写真家を目指した時期もあり・・・
この20年くらいで撮りためた「過去の感性の痕跡」が
そこそこの枚数ある。

しかし、
自分は、カメラマンなのか、フォトグラファーなのか
写真家なのか、フォトジャーナリスト、なのか。
「社会にとって価値のありそうな写真」と自分の接点が分からず。
個人的な体験に留まったまま、その写真の行先が分からないまま
ずっと眠っていたのだが・・・

その写真たちをそろそろ日の下に出したいなぁと思い
改めて「今の私」として眺めている。

すると、

その時、その場所で、その瞬間の私が見た景色が
どの写真にも写っていて。

当たり前なんだけど。

それって、

この景色の中にいた「私」のことを
この「被写体」として映っている人や、

動物や、「情景そのもの」が
同時に見て、感じてくれたんだな、
そこにいる私を包んで、

そこにあらせてくれたってこと

なんだな。

私は写真を通して
その景色の中にいた私を見せてもらってるんだな。

言い換えると、世界中の私のオーディエンスと再会している

んだな。

だからかーーー

なぜか自分で自分の写真を見返すと嬉しくて元気になる。
なんでだろうと思ってたけど

その理由がやっと分かったぞ!
そりゃそうか、これだけの景色が、私を受け入れ応援してくれている痕跡
見れば見るほど元気になるに決まっているではないかーーー

つまり、

写真を撮ったり眺めることは
誰かに何かを伝える手段というよりも
私自身の、その瞬間の存在が愛されていることを
実感する行為だったのだ。

ただただ、そこに映っていたものは

私の、その瞬間見ている世界を「推したい」愛と
その”推し”が同時に私を推し返してくれた愛の
めぐりあう痕跡

であった。

そういうことなのか。
そいうことなのか。

世界はそうなのか。

あ〜なんだなんだ。
「社会にとって価値ある写真との接点」とか
もう探さなくていいや

私はただ生きてるだけであるがままに愛されている。

その大いなる安心の上で

私たち、もう常に絶対的にチヤホヤされっぱなし

でいればいいんだろうなと思う。

自分が世界を愛しむように見ようとした瞬間
世界は同じ目で自分を見てくれている
んだから。

ってことで、伸びでもして、トイレでもいって、寝よう。
おやすみなさい。

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