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「楽しい」は作れる、「幸せ」は作れる(ジャズピアノが教えてくれたこと①)


「楽しくやってみたら良い尽くめ」の不思議

大人になってからジャズピアノを始めてびっくりしたのは、「あ、何かをやるってことは楽しくていいんだ!」と気づいたことです。楽しく学んだり、やりたいことに主体的に取り組んだりすることで、自分という人間を知って好きになれるし、他の人たちとも良い関係で繋がれる。「あれ、なんか良いこと尽くめじゃない?」という不思議さと心地良さに包まれています。

というのも、子供の頃からかなり最近まで、それとは全く反対の価値観で生きてきたからです。自分が楽しいかを考えるよりも、周囲の期待に合わせなければならない。そうしなければ批判されたり、一人ぼっちになったりしてしまうのではないかと怖かった。誰かと一緒にいても、いつもちゃんと周りに適応できているんだろうかと不安があったし、どんなに頑張っても自分というものがとても不確かであるような気がしていました。

自分の思いと行動力で「楽しい」は作れる

ピアノのレッスンに関しても、子供の頃は与えられたカリキュラムに従って練習し、先生から上達具合をチェックされ、あるいは他の子たちと比較され・・・楽しかったこともあったけれど、ちゃんとできるかなと不安だったことや、練習しなきゃと気が重かったことも多かったことが思い出されます。

当時はピアノに限らず、何かを学ぶということは、与えられたことに合わせて「ちゃんと」やらなきゃいけないものだと思っていたし、何をしたいのか、どうしたいのかを自分で考えるという発想すらありませんでした(今思うとすごく真面目な子供でした^^;)

今は「ジャズピアノをやってみたい」という自分の長年の夢から出発し、先生と相談しながら自分で曲や練習内容を決めているので、とても充実感があります。ちなみに私の先生はプロのジャズピアニストで、元々講師を職業としていた人ではないのです(!)仕事でご一緒する機会が多く、彼のピアノがとても好きだったのと、いい先生になってくれそうだなと思ったので、「空いた時間にピアノを教えてくれませんか?」と私からお願いしてレッスンしていただけることになりました。

昔はあんなに嫌で仕方がなかった発表会も、今はストリートピアノで動画を撮ったり、友人のイベントで弾かせてもらったりと、特に発表なんてしなくてもいいにも関わらず、自分で考えて場を設定し、それに向けてせっせと練習しています。この変わりようと言ったら、子供の頃の自分に「数十年後には楽しくピアノを弾けてるから大丈夫だよ」と言ってあげたいぐらいです(苦笑)

必ずしも今現実にある選択肢から選ばなくても、自分の思いと少しの行動力で、「楽しい」は作れるんだな、と実感しています。

「楽しい」から「幸せ」も作れる

そして続けているうちに、友人から「まだピアノはやっているの?」と訊かれたり、「今度一緒に演奏しようよ」と声をかけてもらったりするようになりました。ピアノがそれ自体やるものから、自分と誰かを繋いでくれるものになりつつあることも嬉しいです。ピアノだけではなく、他の楽器や歌をやっている友人とも、お互いに楽しく音楽をやっている同士なので、無理なく自然に時間を共有できます。

そして、気づけば「なんだか最近楽しそうだね〜」と言われることが増えました。確かに、根拠のない(?)自己肯定感が上がったせいか、だんだんと「誰も私を批判したりしないし、いつでもそのままの自分でいていいんだな」という確信を持てるようになり、日常でも笑顔でいられる時間が増えた気がします。

そして、普段からポジティブに過ごせるようになり、自分の中から「次はこうしてみよう」「私はこれが好き」がどんどん出てきて、人との繋がりも生まれるのでますます楽しくなる。自分で自分を満たしていられれば、人からの評価も気にならなくなりますしね。

ということは、ピアノを始めて人生まで変わってしまったのかも知れません。今幸せかと訊かれたら、毎日の生活の中で好きなこともできているし、完璧ではないけれど自分のことも結構悪くないなと思えるし、友達もたくさんいてくれるしで、結構幸せです(^^)

私はたまたまピアノでしたが、絵を描いたり、写真を撮ったり、手芸をしたり、お菓子を作ったり、その人が心から楽しいと思うことなら何でも良いと思うのです。仕事や家族の中での役割などから少し離れて、ひとときコスパやタイパも忘れて、子供のように夢中になって何かをする時間。そんな時間を持てるようにしていけば、自分で「楽しい」は作れるし、そこから「幸せ」も作っていけるものだと思います。

その②「楽しくやることは自分と向き合うこと」に続きます。





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